日帰り旅行 日生(ひなせ) 企画展「眉村卓と日生」 | CHARLIE’S X ~Planet of the 'GODS'~

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アマチュア小説家(キャリアover30年 眉村卓先生、牧野修先生に師事)、リハビリ人(字が書けないけど身体障害者でもない about20年)、気象予報士(免取(^_^;)v)、占い師(吉田佳代名義 易学・四柱推命)

 
 行って来ました! 小説の恩師であり、小学生の頃に小説を読む楽しさを教えてくださった眉村先生の企画展。
「行ったら絶対泣く!」
 と予想していたのですが、そうはなりませんでした。なんでかなあ? ああいう形で「展示」されてしまうと、なんというか……先生の作品を拝読するよりも、先生が遠く感じられた、そんな気がします。まあもっとも「身近に感じさせて頂いていた」ということ自体が奇跡のようなことであって、わたしなんぞのアマチュア歴30年以上のものかきの端くれからすれば、永遠に「遠い存在」のかたなのですけどね。
 
 先生と「お別れ」してからもう4年が経とうとしているのですね。わたしはちっとも進歩していない、反省。
 先生とお別れした翌年、母の肝臓にがんが見つかりました。早期発見です。ことしの04月からは3週間に1度、抗がん剤の点滴治療を受けています。それ以前は入退院を繰り返したり、そのために体がだるいためか、近頃ではめっきり歩くことが苦手になりました。元々太っていたこともあり、ご他聞に漏れず膝が良くありませんでした。そんなこんなが相まって、普段は基本的に寝たきり――家事は一応してもらっています。わたしが怠けたいというのもありますが、母の「できること」を奪ってしまうと認知症になってしまいそうで……加減がいろいろ難しいです――で、少し多く歩いた夜は決まって脚にこむら返りを起こします。
 だけど、母と2人で旅行をしたことはこれまでに1度しかありません。父が居た頃でも3回しかなかったんじゃないかなあ? ほかの親戚と母を交えての旅行は2度ほどありますが、わたしはどうしても「2人の思い出」が欲しいなと感じています。今夜も心配ですけどね。
 
 この施設は和風の庭を挟んで、入って右手が文芸部、正面が資料館になっています。受付のかたに声をかけるだけで入場できて、どこを拝見するにも入場は無料でした。(企画展だけは有料かなと思いつつ訪れていたのですが、そのようなことはありませんでした)
↓ 「和風の庭」
 もし今後この施設を訪れようと考えておられるかたがいらっしゃったら、水曜日は避けたほうがいいです! この辺り、水曜日が定休日のお店がとても多いようでした。幸い食いはぐれることはありませんでしたが。むしろ食べ過ぎたくらいで、夕食は抜きました(^_^;) いいお店が開いていたのです。「磯さん」といいます。系列のカフェのほうへ伺いました。歴史文化館の少し先に在ります。
 車で行かれる場合は、公式ホームページにも書かれていますが、「五味の市」さんの駐車場に車を停めます。その前にポプラというコンビニがあり、高速道路のサービスエリア並みにお土産ものは豊富です。脚の悪い母が小躍りしていた場所です♪
 
 文芸部の1階は、常設展というのでしょうか、日生にゆかりのある多くの文筆家の展示がされています。2階――かなり傾斜のきつい11段の階段を登ります。母は手すりと杖を頼りにようやく登り詰めました――の入って右半分も常設展。左手に企画展、お目当ての眉村先生のコーナーがありました。
 ちなみに。2階右手の常設展には、『浪花恋しぐれ』で有名な作曲家の、岡千秋さんの説明コーナーがありました。ご自身のお写真や都はるみさん、『長良川艶歌』の五木ひろしさんのお写真も飾られています。その中に、美空ひばりさんが写られているものもありました。道楽者の母は、ひばりさんがツボっていたようです。岡千秋さんのコーナーとお土産を買っているときが、きょうの旅で母のテンションがMAXになっていたと感じました(^_^;)
 
↓ 撮影がOKだったので、写真を撮りまくりました(^_-)
 
↓ この「卓ちゃん」色紙はかなり貴重だと思います! わたしは先生の「サイン本」を何冊も持っています。文章教室のあとのお茶の席で、みんながめいめいに先生のご著書を持って行き、先生にサインを求めるのです。先生はサインペンで、サインと一緒に「卓ちゃん」も描いてくださります。そのときの眉村先生は、若干の霊感(のような)ものがあるわたしには、「天とつながっておられる」のが感じられました。差し出された本の内容と、差し出した受講生のイメージとを「ブレンド」し、天からインスピレーション(「インスピレーション」は日本語では「霊感」と翻訳される場合もありますよね)を受け取って、1冊1冊、異なった「卓ちゃん」を描いておられました。
 カラーだし、落款というのでしょうか、「眉村」「卓」と読めます。それが捺されているものを初めて見ました!
「いまだに私の心の中で 発光している」
 きょうの日生も秋の白い陽を浴びて、わたしの心にも「発光」しているように感じられました、とは言えあくまでもわたしなりに捉えた「発光」ですけどね。
 
「里海(さとうみ)」「里山(さとやま)」と書いたパンフレットを母が持ち帰っていました。時候も良かったのかな。欲を言えばもう少し山が色づいてからだったらベストだったかな。
 海は、車を運転しているときにはいいアングルでたくさん眺めることができたのですが、さすがに車を停めて写真を撮るわけにも行かず、思いのほか海の写真が撮れなかったことが残念です。(わたしが「カメラ小僧」なのは、見た景色をすぐに忘れてしまうからなのです。スケッチブック代わりに写真に残しているのです、とほほ……)
 
 
 文芸部を出たところのマットの上で、ばったが腹這いになっていました。まだ脚は少し動いていました。切なくなったと同時に、大げさに言うと「啓示」のようなものを受けました。亡くなった先生、がんを患っている脚の悪い母。09月01日から点滴による栄養補給だけで入院している叔父。先日突然登山中の事故で亡くなってしまった知り合いと、そのことに対するほかの知人からのさまざまなことば。近年わたしの周りでは、「死」が非常に近しいものとして迫っているのに、受け入れることを拒んでいる……頭ではわかっていても感情的に受け入れきれないところがありました。先生に対しても母や叔父や、知り合いに対しても。
 きょうここでこのばったさんと出会ったことは、眉村先生からのメッセージなのだと思い込むことにしました。
 そこで一句。
蟷螂(かまきり)も人も尽き果て歴史有り
(ばったさんをかまきりに変えました。母がかまきりと見間違えたからです、というのは言い訳で、ばったでは字足らずになるから嘘をつくことにしました)
 1つ、「おとなの階段」を登ることができたかなあと感じる、知名を間近に控えた、幼稚なおばちゃんCHARLIEなのでございました。