読書 10月1冊目 『その果てを知らず』眉村卓先生 | CHARLIE’S X ~Planet of the 'GODS'~

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アマチュア小説家(キャリアover30年 眉村卓先生、牧野修先生に師事)、リハビリ人(字が書けないけど身体障害者でもない about20年)、気象予報士(免取(^_^;)v)、占い師(吉田佳代名義 易学・四柱推命)

2020年10月20日発行
 
 やっと読む気になった。読んだら何か新しい道がひらけるかなと感じたから、読むことにした。
 客観的な「読書感想文」を書くことはできない。わたしの中では眉村卓先生は、とても大きな存在だから。
 子ども向けの本を読むことをバカにされているように感じていた小学生の頃、映画化されたことをきっかけに読んだ『ねらわれた学園』。そのお蔭で小説を読む楽しさを知った、ということまで、眉村先生には直接お伝えしたことがある。なんにも知らずに入った大学、大阪芸術大学。隔週、木曜日。4回生になってやっと受けた眉村先生の講義。卒業間際に撮らせて頂いたお写真。『なぞの転校生』にサインをしてもらったこと。そうして歳月を経て2011年10月以降、文章教室で駄作を直接ご指導して頂くご縁につながった。2018年04月まで、文章教室でご指導をしてもらっていた。それから1年と半年後、10月20日のお誕生日に宛てて手紙を送った。24日におはがきをいただいた。見なれた先生の筆跡は乱れていた。その10日後、11月03日……わたしはまだ受け止めきれていない。いやそうでもないのかな。よくわからない。
 
 読後1時間以上が経過した。「時間が経ったら変わるかな」と想像していたけれど、やっぱり変わらない。
「先生はひどい」
 読み終えた直後からずっとその思いは変わらない、続いている。
 
 読んでいる途中に感じたことを箇条書きにしていく。
・冒頭。84歳の主人公ががんを治療するために入院している。母と全く同じ状況! 今は入院はしていないが、抗がん剤の点滴治療を受けるために通院をしている。母にがんが見つかったのは2020年、コロナ禍に入ったばかりの頃だった。それ以来。わたしは徹底的に母の死が間近に迫っていることから必死で逃げようとしている。それを、この本によって改めて突き付けられた、直視させられた。
・内容。眉村先生から聴いたことのあるエピソードがたくさん出てきた。知らなかったことはあまりなかった。回想の中で眉村先生は、「生きて」いた。わたしの頭の中に「生き返って」来てくださった。楽しい時間を取り戻すことができた。
・闘病、「うどん足」。母へ、「『うどん足』を治して! 茹でたうどんから茹でる前の乾燥したうどんに戻って」と、さっき命令してきた。
・好きでよく観るYouTubeのチャンネルのこと。唯一メンバーシップにまで加入しているチャンネル。「『真実を霊視』してゆっくり解説」。そこで語られる生命の生まれ変わり。先生は体得されていたのだなあ。
・やっぱり先生はとてもスゴいかたで、そんなすごいかたの貴重なお時間を、駄作へのご指導のためにいただいていた。我がままな手紙を読んでいただくために割いていただいた。お返事を書いていただくために、時間だけでなく労力まで費やしていただいていた。わたしはすごく贅沢なことをしていたのだな。
・先生が文章教室でのご指導をお辞めになられてからも、よく食べものをお送りしていた。作中では「一口ごとに70回、80回と咀嚼する」と書かれていた。ご迷惑ではなかったかな? サイゼリヤのコーヒーゼリー。「からいものが好き」とおっしゃって麻婆豆腐を召し上がっていた中華料理屋さんでの新年会。
・2010年09月に父を亡くした。そのあとの1年間はわたしにとっては奇跡の「フィーバー期間」だったように思う。たくさんの奇跡のようなできごとが続々と起きた。その中に、眉村先生との「再会」も無論含まれる。いや。それが「フィーバー」の「打ち止め」だったのかもしれない。再会して間もない頃わたしは先生に、「うちの母と再婚してください!」と言った。先生は苦笑をされてから「もう懲りました」とおっしゃった。母に「先生と再婚してよ」と言ったときの反応もことばも、全く同じだった。「父は星になった」。そう捉えていた。先生は「雲」になられたの? 雲なんて不安定で気まぐれで……そうして近いうちに母も「雲」になるの? 「なんでもいい」 そうおっしゃるかもしれない。としたら、やっぱり先生は「星」であって欲しい。「太陽」であって欲しい。母もそうなって欲しい、父もそうであって欲しい。わたしは「太陽」をいくつも持つ1つの衛星(『ソラリス』みたいだな、あれは2つだったが)。それでいい。
 
「再会」した頃の先生は、「奥さまの元へ早く行きたがっておられるんだろうなあ」という印象を受けた。文章教室で先生がお話をされている途中、窓の外へ目を遣られる。視線の先には高速道路が見える。その先生の表情や漂わせている空気から、そんなことを感じた。
 初めてご自身のご病気がわかってからの先生は、「生きたい!」という強さを放っておられたように感じていた。発表される新作。教室の受講生の1人は、「達観されている」「突き抜けた感じ」と表現された。「死」というものを、という意味だと思うのだけれど、わたしはまだ先生に居てもらいたかったから、それを受け入れたくなかった。正直、あの頃の先生の作品を読むのはちっとも楽しくなく、むしろつらかった。でも、わたしも死病を患ったら、また読んでみよう。やっと追い付くことができるかもしれないなと、今思った。
 数回入退院をされ、その都度講座は休みになった。最後に講座が再開されたとき。先生はとても怖い人になっていた、と感じたのはわたしだけかもしれない。確かにわたしの小説は下手だった。今でも上手くはなっていない。わたしは以前から先生に、「厳しくしてください」とお願いをしていた。それでも先生は毎回1箇所は誉めてくださっていた。10批判しての1誉める、程度ではあったけれど。最後に講座が再開されてから、わたしは誉めてもらった記憶がない。とても厳しかった。「わたしのことお嫌いですか?」と疑うほどに厳しかった。それまでとは格段に怖かった。だけど講座のあと、毎回足を運ぶ喫茶店での会話では、明るく接してくださっていた。「愛の鞭」だったんだろうなあと、わかっていた、だからこそ……無念でたまらない。無念でたまらなくて、お通夜のとき、ここぞとばかりに泣いた。
 
 今この本を読んだことは、良かったのだろうか? 母が居なくなってしまったあとにならないと……反抗期の女子高生が生徒指導の先生にきつく叱責されて、泣きながら教師を睨みつけているように、先生が書かれたこと、伝えようとしてくださっていたことが「正論」であることは、頭では理解している。だけど拒絶反応がとても強い。まだ、認めたくはない。
 少し前主治医から、「生と死とはどちらが大事ですか?」と尋ねられた。「同じくらい大事です」とわたしは答えた。即答であった。主治医はうなずいた。
 理屈ではわかっている。だけど、認めたくない。そういう自分が自分の中に居て、今の自分が正常な精神状態でないことも薄々気づいてはいる。
「それならばそれでいい」
 そうなのかもしれないし、こういう感情の経過を辿ること自体、案外とても大事なことなのかもしれない。
 
 もうすぐ4年。速いなあ……。
「眉村先生に長編小説を読んで頂いて、ご指導して頂いておけば良かった」
 図々しくも最近よくそう思う。ショート・ショートは50m走、中編は1,000m走、長編はフルマラソンとするならば、先生はどの「競技」もお得意だったし、どの「競技」についてもコツをよくご存じだった。だからわたしの駄作の長編についても、何が欠点なのか、直接ご指導をしてもらっておけば良かった。
 
 ことしの暖候期は「寝たきり」の期間が長かったせいもあって、読書という行為をすること自体が久しぶりだった。でもそれが眉村先生という、わたしがお手本とする日本語を書かれるかたのものであったことは、とても良かった。久しぶりに「きれいな日本語」に触れることができた。とても心地の良い体験だった。
 
 やっぱり、読んで良かった。今読んだのが、眉村先生のこの作品――「最新」の本――で良かった。うん。良かった。
 
↓ ポイ活しているクイズで、こんな質問が出た! わたしにとっては「サービス問題」。スクリーンショットを撮る余裕すらあったヨ……(^_^;)

(答えはもちろん「B」。小松先生。一応(^_^;))