多磨霊園(49)  服部正 | ミリタリーイベント

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多磨霊園(49)  服部正

 

服部 正(はっとり ただし)
1908年3月17日 - 2008年8月2日
作曲家。日本におけるクラシック音楽の大衆化に努めた

東京市神田区(現在の東京都千代田区)出身
青山学院中等部を経て慶應義塾大学法学部政治学科卒業、学生時代にはマンドリンクラブに所属
1930年に「オルケストラ・シンフォニカ・タケヰ」主催のマンドリンオーケストラ作曲コンクールで『叙情的風景』が入選

1932年帝国音楽学校講師となる。
1933年『管弦楽のための組曲』を山田耕筰指揮・日本交響楽団演奏にてNHKより放送。1935年には初のオペラ『雁の渡る日』をNHKより発表。
1936年時事新報主催の音楽コンクールで三部作『旗』の一曲『西風に飜える旗』が二等入賞。同年末に青年日本交響楽団を創設し、
1946年まで指揮。
1939年東邦音楽学校(現在の東邦音楽大学)校歌『東邦の歌』制定時、在職教員であった植村敏夫が作詞を、服部が作曲を担当。
戦中から戦後にかけては『次郎物語』や黒澤明監督の『素晴らしき日曜日』などの映画音楽や放送音楽を担当。
1953年国立音楽大学教授に就任。
1955年に作曲した青少年のための国民オペラ『手古奈』が人気を博し、公式記録だけでも200回の上演記録を誇る。
ラジオ体操第1の作曲者でもある。弟子には小林亜星らがいる。