多磨霊園(43)  井深大 | ミリタリーイベント

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多磨霊園(43)  井深大

 

井深 大(いぶか まさる)
1908年(明治41年)4月11日 - 1997年(平成9年)12月19日
電子技術者、実業家
盛田昭夫とともにソニーの創業者の一人

早稲田大学理工学部卒業。
学生時代から奇抜な発明で有名であった。
卒業論文は「変調器としてのケルセル 附光線電話」。
大学卒業後、写真化学研究所(Photo Chemical Laboratory、通称:PCL)に入社、取締役であった増谷麟の屋敷に下宿。
学生時代に発明し、PCL時代に出品した「走るネオン」がパリ万国博覧会で金賞を獲得。
後に日本光音工業に移籍。その後、日本光音工業の出資を受けて、日本測定器株式会社を立ち上げて、常務に就任。
日本測定器は軍需電子機器の開発を行っていた会社で、その縁で戦時中のケ号爆弾開発中に盛田昭夫と知り合う。

1945年東京・日本橋の旧白木屋店内に個人企業東京通信研究所を立ち上げ。
後に朝日新聞のコラム「青鉛筆」に掲載された東京通信研究所の記事が盛田昭夫の目に留まり、会社設立に合流。
翌年5月に株式会社化し、資本金19万円で、義父の前田多門(終戦直後の東久邇内閣で文部大臣)が社長、井深が専務(技術担当)、盛田昭夫が常務(営業担当)、増谷麟が監査役、社員20数人の東京通信工業(後のソニー)を創業。