多磨霊園(34)  松平康隆 | ミリタリーイベント

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多磨霊園(34)  松平康隆


松平 康隆(まつだいら やすたか)
1930年1月22日 - 2011年12月31日
バレーボール全日本選手、バレーボール全日本男子代表監督、日本バレーボール協会名誉顧問、
アジアバレーボール連盟終身名誉会長、国際バレーボール連盟名誉副会長、日本オリンピック委員会名誉委員
位階は正五位。2008年3月から“心の東京革命”推進協議会(東京都青少年育成協会)会長

1947年慶應義塾大学法学部政治学科に入学。バレーボール部の主将として、1951年には全日本9人制選手権大会で優勝、天皇杯を獲得した(学生チームとして戦後初)。
1952年、慶大を卒業、日本鋼管に入社、選手や監督兼主将として活躍。
1954年には、9人制の選手として全日本入り。
1961年、現役を引退し、6人制バレーを学ぶためにソ連に留学する(日ソ「スポーツ交流協定」の第1号として文部省からの派遣)。
帰国後、全日本男子チームのコーチを経て、1965年に同監督に就任。
1968年の第19回夏季オリンピックメキシコ大会で銀メダル、1972年の第20回夏季オリンピックミュンヘン大会では金メダルへと導いた。
1979年、日本バレーボール協会専務理事に就任し、1980年モスクワオリンピック世界最終予選では総監督。
同年、アジアバレーボール連盟会長に就任。
1989年 - 1995年12月まで、日本バレーボール協会会長。
1998年には、日本人で初めてバレーボール殿堂入り。
日本オリンピック委員会(JOC)副会長兼理事や国際バレーボール連盟(FIVB)第一副会長等を務めた。

 

 

 

墓所は正面に洋型墓石が二基建つ。左側が松平家

 

1971年日中バレーボール試合 福岡市九電体育館 大古、南、猫田の3枚ブロック