多磨霊園(19) 与謝野鉄幹・晶子
与謝野 鉄幹(よさの てっかん)
1873年〈明治6年〉2月26日 - 1935年〈昭和10年〉3月26日
本名は与謝野 寛(よさの ひろし)
歌人。鉄幹は号。妻は与謝野晶子
与謝野 晶子(よさの あきこ)
1878年〈明治11年〉12月7日 - 1942年〈昭和17年〉5月29
日本名は与謝野 志やう(よさの しょう)。旧姓は鳳(ほう)
歌人。作家、思想家
雑誌『明星』に短歌を発表しロマン主義文学の中心的人物となった。
情熱的な作品が多いと評される歌集『みだれ髪』(1901年)や、日露戦争の時に歌った『君死にたまふことなかれ』が有名である。
歌集『みだれ髪』では、女性が自我や性愛を表現するなど考えられなかった時代に女性の官能をおおらかに詠い、
浪漫派歌人としてのスタイルを確立した。
伝統的歌壇から反発を受けたが、世間の耳目を集めて熱狂的支持を受け、歌壇に多大な影響を及ぼすこととなった。
所収の短歌にちなみ「やは肌の晶子」と呼ばれた。
1904年(明治37年)9月、半年前に召集され日露戦争の旅順攻囲戦に予備陸軍歩兵少尉として従軍していた弟を嘆いて
『君死にたまふことなかれ』を『明星』に発表した。
左が与謝野鉄幹、右が与謝野晶子の墓碑