多磨霊園(51) 有島武郎
有島 武郎(ありしま たけお)
1878年(明治11年)3月4日 - 1923年(大正12年)6月9日
小説家
学習院中等科卒業後、農学者を志して北海道の札幌農学校に進学
1903年に渡米。ハバフォード大学大学院を経て、ハーバード大学で1年ほど歴史、経済学を学ぶ
帰国後、志賀直哉や武者小路実篤らと共に同人「白樺」に参加
1923年、軽井沢の別荘(浄月荘)で波多野秋子と心中した。
代表作『カインの末裔』『或る女』や、評論『惜しみなく愛は奪ふ』
左は妻・安子肺炎で27歳で亡くなる
お墓は入り口正面に両親の有島武・幸子の墓、左に「有嶋行直家累世之墓」、その向かいに武郎と若くして亡くなった妻の安子のブロンズがはめ込まれているお墓がある
有島武 有島武郎の父
鹿児島藩士有島宇兵衛の長男に生れる。
1860(萬延1)長崎に出で更に江戸に赴きて砲術、練兵並に英語を修む。 維新後藩務に係り1872(M5)租税寮に出仕、1878欧米に差遣せられ、帰朝後大蔵省少書記官に任じ、1882横濱税関長に進み関税局長となり国債局長となる。
1893官を退きて十五銀行に入り取締役に任じ、日本鉄道会社専務取締役、日本郵船会社監査役を兼ねて活躍した