多磨霊園(18) 石坂洋次郎
石坂 洋次郎(いしざか ようじろう)
1900年(明治33年)1月15日[1] - 1986年(昭和61年)10月7日
小説家 青森県弘前市代官町生まれ。慶應義塾大学国文科卒
『若い人』で文壇に登場。戦後は新聞小説に活躍
『青い山脈』をはじめとする青春物で、国民的な人気を博した。数多くの作品が映像化されている。
1927年『海を見に行く』で注目され、『三田文学』に掲載した『若い人』で三田文学賞を受賞。しかし、右翼団体から圧力をうけ、教員を辞職。戦時中は陸軍報道班員として、フィリピンに派遣された。
戦後は『青い山脈』を『朝日新聞』に連載。映画化され大ブームとなり、「百万人の作家」といわれるほどの流行作家となり、多くの作品が映画・ドラマ化された。
また戦前からよく訪れていた軽井沢に別荘を建て[5]、以後毎夏数ヶ月滞在し、川口松太郎、井上靖、水上勉、吉川英治、柴田錬三郎などの文壇仲間とゴルフにも興じた。
1966年、「健全な常識に立ち明快な作品を書きつづけた功績」が評価されて第14回菊池寛賞を受ける。
代表作
麦死なず
陽のあたる坂道
石中先生行状記
光る海
何処へ
あいつと私
若い人
青い山脈
颱風とざくろ
美しい暦
暁の合唱
山のかなたに
わが愛と命の記録
女の顔
丘は花ざかり
白い橋
山と川のある町
ある日わたしは
寒い朝
あじさいの歌
河のほとりで
雨の中に消えて
風と樹と空と
金の糸・銀の糸
水で書かれた物語
だれの椅子?
私が、石坂洋次郎を知ったのは、1972年松坂慶子主演の「若い人」だった。
高校生時代は、石坂洋次郎の文庫本を読みあさった。
若い人
1933年8月から1937年12月まで『三田文学』に断続連載され、石坂の出世作。
石坂が郷里の弘前で見聞したミッション系女学校での実話に基づいているが、関係者に迷惑が掛からぬよう、小説の舞台は北海道函館のミッションスクールとした。
それは今日まで函館の遺愛学院の名誉となっている。
1972年7月31日 - 9月1日、NHKの「銀河テレビ小説」で放送。
出演:松坂慶子、石坂浩二、香山美子、草笛光子、高橋悦史ほか女優の江波和子は映画化に際し当初江波恵子役に擬せられたため、芸名はこのヒロインにちなみ、娘の江波杏子も同様。
またテレビドラマで間崎を演じた石坂浩二の芸名は石坂洋次郎にちなんでいる。
(Wikipedia)
「若い人」は映画化、TVドラマ化、各4回されている。
映画では、吉永小百合、石原裕次コンビでの作品もある。