ヒトはこの世に命を享()けるとき、一本の橋を渡り光の国から現世へやって来るというお話が、超常現象の世界にはあります。それは子どもや大人、老人などかなり年齢幅のある姿で、個々の人生の長さを示しているのだとか。つまり、橋を渡ってこの世に来る命は、生まれた瞬間に「終りの時」も決まっている、という考え方ですね。

こうしたお話は世間一般には知られてないけど、天命をまっとうした命がその後どうなるかは、多くの日本人が知っていますね。生きる者たちが命を謳歌する「この世」と、亡くなった人々が静かに暮らす「あの世」。ふたつの世界の間に何があるのかを、今回は語ってみましょう。

 

仏教の教えに「輪廻(りんね)の思想」があります。輪廻とは、この世の生き物はすべて四つの過程を繰り返しながら生まれ変わるという考え方です。超常現象ではこれをさらに発展させ、「前世の記憶」なんてテーマを語るワケです。ちなみに、オバさんの「一世代目の前世」はたぶん渡り鳥。間違いありません。

ともあれ、輪廻の思想で語られる四つの過程のひとつに「中有(ちゅうゆう)」があり、これがあの世とこの世の狭間だと説いています。中有とは、身体を抜け出た魂の行き場を決める期間で、天国へ昇れるか地獄へ落されるかが、1回7日間の裁判を7回受けて決定するそうです。亡くなった人の魂が、現世に留まるとされる49日間ですね。余談としては、かの有名な閻魔大王の「ご判決」を受ける日は中有の5日目だそうです。

 

輪廻の思想では、あの世とこの世の結び目を時間で説いていますが、場所となればわたしたちのよく知る「三途の川」ですね。中有で判決を受けた後に渡る川とされ、「三途」とは生前のおこないによって渡る場所が3通りに分かれていることを示す名前です。生前、仏さまに褒められるおこないをした人は橋を渡ってあの世へ行けるし、そうでない人は川の深みにはまりながら渡ることになります。

ときに、あの世とこの世を結ぶ場所に川が流れていると考えるのは日本だけではなく、世界中の民族や文化に登場します。古代エジプトではナイル河、ゲルマン民族の神話にはギョルという名の川が命を渡す場所として登場し、ヒンドゥー教の神話では、地下を流れる大河が現世との境界線を示します。なぜ、「そこ」が川なのか不思議だけど、もしかしたら、人間の神秘の象徴なのかもしれませんね。

 

ところで、あの世とこの世の境界線は、それが伝説として語り継がれる場所もあります。日本の各地に点在し、オバさん的にもっとも「推し」なのが黄泉比良坂(よもつひらさか)です。

山陰の神話の国にあるこの場所は、古事記で伝えられる由緒正しきミステリー・スポットなのです。細い山道の奥深くへ分け入ると、しめ縄を張った2本の石柱があり、その先にこの世の境界線を示す巨大なふたつの岩が道を塞いでいます。黄泉の国からこの世へ現れようとしたモンスターを、そこで封じ込めた岩だそうですよ。ちなみにこの岩の横には、天国へ手紙を届けられるポストが立っているとか。

マニアの間では、かなり名の知れた黄泉比良坂。ナビゲーションの発達した現代ならば行くに迷わないと思うけど、ここは強力なミステリーゾーンであり、間違ってもパワースポットではありません。テレビのバラエティ番組で、こうした場所にタレントが無防備で踏み込む場面があるけど、オバさんはあれ…恐ろしくて見ていられませんよ。

日本を含め、世界中で語られるあの世とこの世の境界線を示す川は、向こう岸へ渡ってしまえば二度と現世に戻って来られないのです。伝説に記される場所で、現実にそんな事が起こるはずないけど、行くならば黄泉の国の人々に深い敬意を持って訪れるべきでしょう。