これは、レーシングドライバー個人にスポットを当てるカテゴリだ。主な登場はF1ドライバーだが、たまには、ラリーや耐久からの登場となる場合もあったりする。プロの「競技用運転手」としての走りはもちろん、その人間性に関しても語っていくつもりだ。ただし、前者は登場人物によっては資料がなくて語れなかったり、後者は思いっきりわたしの個人的素人思考であることを、カテゴリ最初の投稿時点でお断わりしておく。

さて、並み居る猛者たちを押し退け真っ先の登場となったのは、モータースポーツすべてのカテゴリで、わたしの最も愛するドライバー、シャルル・ルクレールだ。

 

1997年10月16日生まれで、この記事を書いている時点では22歳。生まれ育った場所はモナコ公国。わずか2平方㎞の極小国土でも6つの地区に分かれている。豪華絢爛なカジノやホテルが集中し、F1グランプリのコースにもなるモンテカルロ地区、セレブの高級住宅街モネゲッティ地区、庶民の日常生活があるコンダミーヌ地区などだ。

シャルル・ルクレールはF2時代、F1への憧れをこんな言葉で表した。

「子どもの頃、出窓の真下にモナコGPのスタート風景が見えた。自分のオモチャの真っ赤なミニカーを、スタートして行く赤いF1カーに重ねて夢中になったよ」。彼の家は、モナコの花形地区にあるのか。物心ついたころから、自宅に居ながらF1モナコGPを見ていたなんて、凄いなぁ…と感心しきりだったら、ある日、それが「友人の家だよ」と言う本人の説明があった。

ちなみに、モナコ公国の総人口は約3万7000人だが、そのうち正式なモナコ国籍を所有する「モネガスク」は9000人ほど。ルクレール家はそのひとつだ。家族の話ついでにわたしの独断を記しておけば、現在フェラーリ・アカデミー所属でF3ドライバーの弟くんアーサーの方が、シャルルよりイケメンである。その美形兄弟の貴重()なツーショットがこれだ。

ともあれ、F1モナコGPを自分の五感で体験しながら育ち、さらに父親がプロのレーシングドライバーだったシャルル・ルクレールの人生の道筋は、3歳6か月で決定した。このとき、自分で操作し動かす乗り物に、生まれて初めて乗ったのだ。それが、いきなりレーシングカートという凄さが、いかにもシャルルらしいではないか。普通、これくらいの年齢の子どもが初めて乗るのは、電動でゆっくり動く幼児用のオモチャのクルマだ。そこから始まり、遊園地辺りのゴーカートで慣らした後に10歳前後でレーシングカート、これがフォーミュラー乗りの一般的な「成長記録」である。

しかしシャルルは、この世に誕生しわずか3年と半年ほどで、時速100キロ越えも可能な世界に踏み込んだのだ。何しろ、すべてのカテゴリで一番好きなドライバーだから、資料は山のようにある。幼少期から、圧倒的な強さ・速さでチャンピオンに輝いたF2時代までの10数年間もドラマチックに語れるが、物凄く長くなりそうなので今回は省略しようと思う。

ただシャルル・ルクレールとは、自分を愛し応援してくれた人々の熱い想いと、彼らがこの世に残した深い未練をその体内に取り込んで成長していく、とても稀有な運命を持つレーシングドライバーであることを記しておきたい。

 

芸能やスポーツなどのプロフェッショナルな世界には、「ある一線」という仕切りが必ず存在する。仕切りの向こう側へ行けるのは、一線を越えられる才能を持つ者だけ。努力すれば何とかなるのは、その手前までだ。そして、一線を超える者たちを「天才」と呼び、ひとつの世界の現実に存在するのは多くても数人程度だろう。

シャルルに対してのその呼び名は、彼専門のカテゴリで散々使っているので、ここではそう多くは語らない。スクーデリア・フェラーリのレギュラードライバーという現実の話をしよう。

大好きと言いながら、わたしは今まで、彼がどのようなドライビングをするドライバーなのかを詳しく語ったことがない。実は、これといった特徴がないのだ。例えば、世界一美しいオーバーステアのダニエル・リカルド、クルマのリアエンドの使い方がF1で一番上手いセルジオ・ペレス、ブレーキング技術では勝てる者のいないルイス・ハミルトン…みたいな、いわば走りの個性。

しいて言えば、フロントエンドの強い突っ込みを好むタイプだが、こうしたドライバーにありがちなリアの挙動を気にするクセもあまりない。とすれば、シャルルの走りをどう表現するかは、「スタンダード」としか言いようがないだろう。天才なのに、走りは普通なのだ。

トップチームのクルマを得た去年の予選。わたしの素人感覚に過ぎないが、テレビ画面で観る限りでは突出して速いようには感じなかった。しかし、7回のポールポジション、しかも、そのほとんどが圧勝だった。これが、シャルル・ルクレールの走りの特徴だと、今は表現するしかない。本人が、「ミスから学び成長するスタイルを、これから先も変える気はない」と言うので、わたしはとても楽しみにしている。ドライビングに妙なクセや拘りがないぶん、トップチームでの経験を積めば積むほど、素直に真っ直ぐ成長していくからだ。

ちなみに、緊張しまくった1年目の去年、もっとも学んだのは「忍耐」だったそうだ。元来、せっかちな性格なので相当辛かったようだが、壁を突き破りひとつ成長した、というワケだ。

 

さて、シャルルの現在はその忍耐である。ただ、生まれて初めてのオンラインゲームを、わずか8日間の練習だけで制してしまうあたりはさすが。どうやら味を占めたようで、次のゲームにも参戦するようだ。

自宅にはスポーツジム並みのトレーニング機材がそろっているし、モナコは1時間程度の散歩はできるようなので、体調管理の心配はないだろう。加えて、ゲームでレース感覚を保ち続けることもできる。コロナウイルスの影響で最悪2020年シーズンが全部流れても、5年契約の22歳に焦る要素は何ひとつない。まだ若く、安定した未来は充分に長いのだ。

そんなシャルル・ルクレールの性格というか人間性を、最後に語っておこう。一家の長男は、父親が亡くなった17歳で家族を支える身になった。その覚悟と現実の体験が、現在も彼の根底にあるとわたしは考えている。だから、自分にとって大切な人やモノは、何があっても絶対に守るぞ!みたいな、野生的にさえ感じる本能を持ち合わせているのだ。

シャルルの仕事に対する姿勢には、甘えがない。意味を例えるならば、父親のお金でシートに座っている某F1ドライバーとは正反対ということだ。F1デビュー当時は「まじめ」と表現した性格も、現在では「情け容赦ない」の方が正しいかもしれない。

 

2020年のF1シーズンには、様々な憶測が飛び交っている。完全に「お流れ」か、開催しても8レース程度か…など。フェラーリとシャルルを愛する者としては、たった8つでチャンピオンを決めるようなシリーズに何の意味があるのか…と思ってしまう。以前にも語ったが、わたしが大好きなドライバーにチャンピオンを期待するのは、2年から3年先だ。

それまでの間、シャルルには去年覚えた忍耐で自分の時代の到来をじっと待ち続けてほしい。そう、彼の場合、待てば必ずそれは来るのだから。