こんにちは。
と言うよりこんばんはでした。こんばんアップと言いながら下書きに入れたままにしていたムラマサです。
さっき、当ブログを観て気がつきました。
人智学講義は「悪のススメ」です。
自己紹介と宮沢賢治の本が伝えてくるもの、宮崎さんの映画では何が好き、映像も悪いものばかりではないですねーという流れから「悪のススメ」がいきなり出てきます。先生得意のその場の雰囲気からの話題作り。またあの理解しがたい内容のテキストの読み方も読み方のポイントを何となく教えていただきました。
悪って魅力的ですよねー。
「いい子になる」ってのがよくわからない。何事も内的必然性が起こって結果が生まれる。悪と言われる事を勝手にやる。この自由という背後には責任がある。この責任を果たす、また責任があるならば悪ではない。内的必然性がない場合、社会がこうだからとかいう理由で無自覚で行なうこと、そこに正義をかざすくらい悪はない。
自由と道徳
これは社会的な事と個人の自由の尊厳のバランスですね。
愚痴はいいですね。願いの裏返しですから、人のせいにするのは?ですが。
さてこのテキスト=教育の基礎としての一般人間学はシュタイナーの人智学を少し学んでいた人に向けてなされた講義録です。これを頭で理解しようとすると難しい。論理的には実証できないのでイメージで読むんです。自分の世界で共有してください。構築はできません。
全てにおいて宇宙とのつながりがこめられています。宇宙を取り戻したい。目の前の人が宇宙人と思えること。今はそう思えない社会にされてしまっています。
1講は先生への自覚を促す内容です。
高次の存在からの委託がはじまろうとする。「そうだやってみようと」と熱くなれるかどうかでその内容が本当がどうかは関係ない。
呼吸と眠りと目覚めのリズム。
子ども達は呼吸ができていないとか、眠っているときは宇宙にいるとかむちゃくちゃなことを言ってそうですよねー。これは今の教育は息が詰まる教育だ、眠っているときの教育(文化や自然を感じていたこと)などが大切だということです。眠っているとき覚えていない、宇宙にいるとき覚えていない。宇宙にいることがあったとしたら覚えていなくても当然。肉体は宇宙人としてのモデルを示す。
たとえばお腹が痛い、眠ると痛くない、痛いのを忘れる。眠るとわすれるのです。
(ここでイメージのモデル図があるのですが後日載せます。)
快、不快、アストラル体の支配で瞬時に変わります。
自我は私が私であるということ
(さっきのイメージ図)ひとつのモデルとして考えた時に面白い。
昼間に間違ったことは眠っている間に訂正される。人が自我に中で一生懸命、行なったことはエーテル体に刻まれ自己治癒します。物理的ではないですよ。
フォルメン線画というのがあります。
例えば片手でフニャフニャと線を描いてもう片方の手で対称に書こうとしてもなかなか旨くかけない。
でも両手で一緒に書くならば簡単にどんな複雑な模様も書けます。
両手で書くというのはアストラル体が行なっています。
片手は自我で、自我で書くというの=行為で=全力で行なっています。
眠っているときの自我とアストラル体のあり方が表わされています。
役者として時代を生きている。肉体とエーテル体に自我は主張しながら器になろうとしている。
今の経済界と結びついた教育は子どもを特定の部分のものとして育てることをしています。
とココまでがアップしていなかった内容でした。