こんにちは。
京都の暑さでそろそろあせもが気になっているむらまさです。
さて先日の人智学講義の覚書です。
共同体の原則なるものを↓
http://ameblo.jp/charkazz/entry-10279310486.html
語っていただいた後に教えていただいたこと
シュタイナーはゲーテ学者でもありゲーテの自然科学に関する著作を校訂し、注釈を依頼されていた。
メタモルフォーゼ=変態
変態をできるということは生産をしていく時の点(変化していく無数のもの)が秘められている。
この生産点は自然界は与えられている。人間もあるのだけれど気がついていないだけ。
「あなたの存在意味はなんですか?」と聞かれると言えそうで言えない。
子供たちは持っているんです。
教育論で子供たちは生産点を持っていると見て変態のサポートをするか、真っ白だと見ていろんなものを書き込むか。先生として親としてどう向き合うい、どう見るか。大人の課題です。
生産的な原点とは。
文章を書く時長い間考えても書けない、しかしあるとき「ぽっ」と何かが出てくる。そうしてそれが見つかった瞬間に今までが嘘のようにスラスラ書けるこういうようなことです。
そしてそれが生産的な原点であるかどうか。人は出会って見つけられます。
これが昔に言われた「汝自身を知れ」です。
今は「汝らを汝ら自身と知れ」ですね。
昔は星や宇宙と交信したり、呪術など普通にされてきたでしょう。今は成り立たないですね、宇宙と交信するといってやっていると白い目でみられますよね。
あるときああと思ったことは強行に天皇制反対と言っていた人が天皇がなくなられたときに皇居に向かって土下座しておんおん泣いていらしたのを見て、こころはどこかで繋がっていたんだなと。今はこういうことはあるのかな。
この生命的な営みをも殺してしまう人間の営み。
そこで変態のススメです。
宮沢賢治の「なめとこ山の熊」、これはまさに日本の文化だと思います。
死んだ猟師を熊が囲んで弔うんです。
ひとが心を向けた瞬間に、人が心を注いだ瞬間にそのものの心が立ち上がる。
そこに命を注ぎ込むか否か、人間には神は手を出せないんです。人間の責任で人間の中に帰っていくんです。