やっとかめ。
地元の言葉で”お久しぶり”の意である。
昨年12月、WUG語りとは名ばかりの自分語りで、Wake Up, Girls!Advent Calendar※に花を添えて以来になる(添えられたか?)。
※記事のリレー執筆企画
皆様の記事に対する感想も好き勝手に書いた。
実は未完である、この企画。
ひと様の文章をダシに語れる日を、首を長くして待ってるので。
世の中が暗いムードに包まれている。
色々な事情で、催し事が中止になっている。
誰も責めるべきでは無いのだが。
何を楽しみに暮らせば良い、と個人的に思う所もある。
それを心の支えにしていた周囲の落胆振りが精神的に堪える。今度が、初めて推しに会える機会だったオタクも居るだろう。
”あの”グループのリーダーである、元気印の彼女が病床に伏した。
1か月近い沈黙を経て、長期療養に入る事が発表された。
出来る事は無いか、出来る事なんてないよ、と思考のループ。
自分なりに手紙を書けないかと、筆を執った。
オタクは歌う
「ハブ・ユー・ネバー・ビーン・メロウ」を意訳カバーした。
意訳カバーとは。外語の楽曲を、自分なりの邦詞を付けカバーする行為である。
眠りのない街
春色の便りは 夜明けのように
後ろ向きな歌い出しになってしまった。
”I was like you”という詞を、”あなたのように”とするか英詞のまま歌うか、脳内会議が開かれた。
しかし、われながら呆れた。
かつて天才的なワードセンスで「オー・シャンゼリゼ」を訳したけれど(各々ツッコミを)。
才能枯れたな、と。
もう止めてしまおう、とさえ思ったが。
癒されぬ日々を”眠りのない街”とした際に、経過する時間と春の訪れ、招かれざる客は”夜明け”だと閃いた。
やはり天才だから続きを書こう、となった。
夜明けは、寝ている間にやって来て欲しいものだ。
けやき並木すり抜けて
お祭り騒ぐは 少女の歌声(こえ)
夢の先の切なさに
理由無き雨がひとつ ふたつ
呼吸(いき)を吹きかけて 青空をさがすけど
たちまち暗い雲立ち込めて消えてゆく
さいたまスーパーアリーナに足を運んだ。
あの解散ライブから1年後、同じ日にち。
別件の為、東京都内で過ごしていた。
人々が、巡礼の様にそこを訪れる事は知っていた。
正直な所、行くつもりは無かった。
然し気づけば、さいたま新都心駅に。
駅から会場に向かう道中には、けやきひろばと呼ばれる欅の並木模様が広がっている。
奇しくも、あの日と同じ時間帯であった。
高揚感を思い出しながら、足取りは軽い。
正面玄関にたどり着き、愕然とした。
ライブもイベントも開催されていない。1万3千人のオタクたちの姿も無かった。
分かり切っていた事である。
此の情勢で気が滅入っていた事や、オタクの同志たちと直近で過ごした時間も手伝って、予想だにしなかったナイーブに陥る。
路を照らし出して
口をついて気づくのは
閉じた傘を引きずる淡い人影(かげ)
出来る事は無いか、と思考。
手紙を書けないかと、筆を執った。
然し気づけば、考えるのはわが事ばかり。
誰かを励ますつもりが、もう一度励みになって貰う為に、演者にオタクに、取り巻く全てに救けを請う性根に嫌気が差した
傘を閉じて身を濡らしても、和らげる事も理解さえ出来ない。
不毛な行為と知りつつ、それを続けていた。
影は、光を照らせないのだ。
紙ヒコーキ
風を切れば 後に続き 注ぐ川の流れ
路を照らし出して
青空へ繋ぐ音
日替わりのリズム&ブルース歌いだす
以上、2つの企画に参加した。
某氏のオフ会でも、直筆で寄せ書きをした。
気持ちは同じである。
寄せ書きや手紙、メッセージ。
水色推しやワグナーは勿論の事。
他グループを追っている方々も、思い思いに動いているけれど気持ちは同じで、無数の川が合わさり大きな流れになる瞬間を目にしている様だった。
暗雲を、目障りなそれを断ち切って。
青空まで届いたであろうか。
心を解いてつむじ風見送って
Have you never let someone else be strong ?
自分は何か出来ただろうか。
誰かにとって励みになれたか?とJohn Farrerが問う。
青山吉能さんの復帰が、今はただ喜ばしい。
お顔を拝見出来て良かった。
少しだけ世界が明るくなった。
眠れない日々は続きそうだけれど、少しだけ気持ちを休める事が出来そうだ。
氏の言葉で始まった、人生の第二章。
今日も明日も、元気に生きている。貴方も貴方なりのスピードで。