ヤンキー | 鈴木いつみ ♨️

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ヤンキー (不良少年

日本国内において、不良行為的な志向を持つ少年少女を指す俗語

口伝えで広まった言葉のため、語源とは関係なく曖昧な定義のまま使用されることが多く非行少年、不良、チンピラ、不良集団などを指すものとして広範な意味で使用されている。

 

ヤンキー」と呼称されるスタイルは、若者の「周囲を威嚇するような強そうな格好をして、仲間から一目おかれたい」という志向が表れたものである。それぞれの時代によって流行があり、明治以来の伝統的なモラトリアムファッションである「バンカラ」から、1970年代に流行した「ツッパリ」スタイル以降、「(クラシック)ヤンキー」「ヒップホップヤンキー」「ギャル男」「悪羅悪羅系」など時代に応じて流行に変化が見られる。根本的なメンタリティ自体はそれほど変化していないが、外見や消費傾向などの枝葉の部分は時代に連れて変化を続けている。

発生当初は管理教育などへの反抗を掲げ校内暴力などの問題を起こしていたが、近年では「周りの目よりも仲間と過ごす楽しいひと時を大切にし、そのためなら反抗も厭わない」という性質に特化している。

バンカラ

バンカラ/ばんから、蛮カラ)とは、西洋風の身なりや生活様式を指すハイカラをもじった用語である。明治期に、ハイカラに対するアンチテーゼとして粗野や野蛮を主張するスタイルとして創出されたもの。バンカラの典型的な様式としては「弊衣破帽」がある。このファッションスタイルから、少年漫画の影響により後に番長の意味に解釈され、蛮」に対して「番」を用いた「番カラ」とされている場合もある。

ツッパリ

1970年代の不良少年は主に東京など関東地方でツッパリ(突っ張り、つっぱり)と呼ばれた

不良少女はスケバン(女番、スケ番と呼ぶ。ツッパリは、シンナーや覚醒剤の乱用事件や、喧嘩から発展した暴力事件を引き起こし、暴走族の流行とも呼応して特攻服などのツッパリファッションを生んだ。

1980年にデビューしたロックバンド横浜銀蝿は、この「ツッパリ」スタイルをコンセプトに活躍したグループである。2ndシングルの「ツッパリHigh School Rock'n Roll」は文字通りツッパリをテーマとした曲であり、ツッパリという言葉を一般化させた

3rdシングルの「羯徒毘璐薫'狼琉」は暴走族をテーマに取り上げ、この前後の時期のスタイルを象徴している。

ヤンキー

1980年代中頃から1990年代初頭にかけて、不良少年少女全般を指して「ヤンキー」と呼んだ。なお、関西では1975年には既に「ヤンキー」と呼ばれており、1975年6月に発売された上田正樹と有山淳司によるアルバム「ぼちぼちいこか」の「Come on おばはん」における「しかめっ面のヤンキーのあんちゃん」とは「不良少年」を意味している。関西で使われていた「ヤンキー」という呼称は、1983年に嘉門達夫が「ヤンキーの兄ちゃんのうた」の自主制作盤200枚を全国の有線局へ配って放送したところ全国的に広まり、その年の日本有線大賞と全日本有線放送大賞で新人賞を同時受賞し、定着した

 

当時のヤンキーの男性は、リーゼントヘア、制服では、「短ラン」「長ラン」など標準とは異なる丈の学生服や、「ドカン」「ボンタン」などの幅の広いズボン( 詳しくは変形学生服の項を参照)を着込むとともに、ぺちゃんこに潰した学生鞄を持ち、派手な色柄でオープンカラーのカッターシャツを好み、派手なヘップサンダルや突っ掛け(便所サンダル)もしくビーチサンダル雪駄などを好んで履くのが特徴的である。

ヤンキーの女性は、1970年代のスケバン時代からの傾向ではあるが、制服・私服を問わずロングスカートを好み、特に私服ではロング丈のタイトスカート、略して「ロンタイ」の流行が特徴的である。また、男性と同じくぺちゃんこに潰した学生鞄を持っていた。

一般人から見ると特異なファッションセンスを持つため、ヤンキーかそうでないかは見た目で判断しやすい点が、後の年代のヤンキースタイルとの違いと言える。

この時代の典型的なヤンキー像としては、1983年に連載が開始されたきうちかずひろの漫画作品『ビー・バップ・ハイスクール』(講談社週刊ヤングマガジン』掲載)が挙げられる。これを原作として、清水宏次朗仲村トオルの主演により1985年から1988年にかけて計6作品の劇場公開映画が制作されヒットシリーズとなった。なお『ビー・バップ・ハイスクール』は2003年まで連載されており、1990年代にも再度映画化され、その続編がVシネマシリーズとなったほか、アニメ版(OVA作品)も制作された。2000年代に入ってからも、テレビドラマ特別番組2004年2005年に制作されるなど、時代を超えるヒット作品となった。

1986年に連載が始まった『ヤンキー烈風隊』はタイトルにヤンキーとつく初めての漫画であり、暴走族がかっこいいというイメージが作られていった。

ロックバンドの氣志團1997年に結成され2000年にデビューしたバンドであるが、ヤンキーの衣装意匠を用いて「ヤンク・ロック」を標榜している。

後の年代には、この時代のスタイルを指して「古典的なヤンキー」の意味合いから「クラシックヤンキー」と呼ぶ場合がある(次の時代のヤンキースタイルを「ネオヤンキー」などと称したことに対比して生まれたレトロニム)。

ヤンキーは現在も存在し、実際に2022年6月には広島県安芸郡府中町ショッピングモールイオンモール広島府中立体駐車場で会社員を8人の不良少年が暴行する事件が発生した[9]

ヤンキースタイルの変遷編集

1990年代に入ると、「トレンディ御三家」と呼ばれた吉田栄作加勢大周織田裕二らファッションリーダーの登場により、ツーブロックカットのストレートヘア、ストレートジーンズに白いTシャツブレザーを合わせるなどの清潔感を意識した「アメカジ」ファッションが流行し、アイドルが髪にパーマをかけなくなり、スリムジーンズが時代遅れになっていった。一方地方の田舎では、ヤンキーの独特の文化が続いており、髪を金髪に染める、眉毛を抜く、ガンを付ける、深夜にたむろする、タバコを吸う、授業をサボる、問題を起こして停学や退学を食らう、派手な化粧、煌びやかな服装、サングラスなど強面に見せて突っ張って、反抗心を絶やさず近づけさせないなどの態度で、思春期から成人にかけての青春時代を送ったヤンキーは各地で継承されている。

バブル崩壊から1990年代末にかけての流行の中で、ボンタン、ドカン、リーゼントなどのクラシックヤンキースタイルが完全に時代遅れとなった。アメカジ=渋カジの流行の中で、以前にはなかったスタイルの不良集団であるチーマーが出現している。

いわゆる「渋カジ」の中心はカレッジスタイルであったが、チーマーたちはネイティブ系やバイカー系、ミリタリー系、ワーク系などより男性的な雰囲気をもつスタイルにシフトしていき、それらのテイストを取り入れたストリートファッションも生み出された。

ヒップホップヤンキー編集

カジュアルスタイルの不良では、一般人とファッションで差別化するのが難しく、ヤンキーの自己顕示欲を満たすことができない。そのため、2000年代には、アメリカの低所得者層の不良子弟(ギャングスター)のそれに似た様式が日本に流入し、カラーギャングの流行とも呼応して、いわゆるヒップホップ系ファッションをしたヤンキー「ヒップホップヤンキー」が誕生した。

カール・カナイジャージを着るのがヒップホップ系の愛好家たちの間で流行していたが、2000年代に入るとより多くのヤンキーの間でガルフィーのジャージが流行した。

ヒップホップヤンキーの典型的なスタイルは、オーバーサイズのジャージやジーンズなどのボトムウェストを股下までずり下げ着用する「腰履き」が主流である。また、これをファッション誌などのメディアでは、「B系」と称する場合が一般的であるが、その場合は必ずしもヒップホップヤンキーのことを指す表現ではない(B系記事参照)。

ただし2010年前後の時点では、着用の際の工夫を凝らさずともあらかじめ腰履きに見える手軽さと履きやすさが特徴である「ヒップホップジーンズ」(ローライズだが股上が深いシルエット)などが流通している。かつてクラシックヤンキーが好んで履いた「ボンタン」との類似点が指摘されている[誰によって?]。ただ、このスタイルは、一見してヤンキー的メンタリティを持ち合わせていないと思われる若者の間にも広く受け入れられ、外見的にはヤンキー、ヒップホップ愛好者、そのどちらでもない一般人の区別があいまいで困難になった。

ギャル男編集

1999年には雑誌『Men's egg』が創刊され、派手なルックスを強調したギャル男が登場。不良の中でもこのスタイルに変化する者が現れた。

ギャル男は従来のヤンキーと違い中性的、女性的なファッションやライフスタイルをしていることが特徴で、2000年代後半からはカウンター・カルチャー性をオミットしホストの文脈を取り入れたお兄系と呼ばれるスタイルが登場した。また、お兄系にサイケデリックの要素を取り入れたデリッカーと呼ばれるスタイルも登場した。

悪羅悪羅編集

「悪羅悪羅」(おらおら)とは、雑誌『egg』による造語である。悪羅悪羅スタイルはギャル男の影響もあるが、黒を基調にメタリックゴールドのロゴを入れたセットアップのジャージやタンクトップなど、デザインは和彫りやトライバル、オールドスクールなどのタトゥ風など、より力強さや不良っぽさを感じさせ周囲の人達を威圧するスタイルを特徴とする。このようなファッションは、いわゆる地下格闘技の選手達とそれを支持するヤンキー達が愛用している。また、悪羅悪羅系ファッションの女性のことを「姐ギャル」と呼ぶ。

編集

「卍」(まんじ)とは、『まじ卍』という流行語からきた造語である。悪羅悪羅スタイルと比べて周囲の人達を威圧する要素は薄く、ストリート系のトップスにスキニージーンズと赤や蛍光色のハイカットスニーカーなど、ヤンキーとしての力強さを誇示しながらカジュアルなパリピ生活を志向している。EXILE三代目J Soul BrothersなどLDH系グループのアーティストのファッションと共通点を持ち、また、「卍系」のヤンキーは、Instagramなどソーシャル・ネットワーキング・サービスでの自己発信も好む。卍の入っている不良漫画として、東京リベンジャーズが話題となった。

TikTok内にてMeland x Haukenの楽曲『CHERNOBYL 2017』に合わせて踊る動画がバズったことから、(この楽曲の空耳に合わせて)「やりらふぃー系」とも称される。

病み編集

2010年代後半からホスト業界がメンヘラや原宿発の「病み系」文化の影響を受けたことから、ヴィジュアル系の衣装やパンク・ファッションに身を包む若い男性や、「量産系」「地雷系」と呼ばれる服装(ロリータ・ファッションが源流である)の若い女性が新宿歌舞伎町新宿東宝ビル横広場などで遊ぶようになり、このような若者集団は男女合わせて「東横界隈」「トー横キッズ」と呼ばれるようになった。