おたく | 鈴木いつみ ♨️

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おたく オタク ヲタク

  1970年代[1]日本で誕生した呼称であり大衆文化愛好者を指す。元来は漫画アニメアイドルSF特撮女優パソコンコンピュータゲームクイズ模型鉄道格闘技などの、なかでも嗜好性の強い趣味玩具の愛好者の一部が二人称として「お宅」と呼び合っていたことを揶揄する意味から派生した術語で、バブル景気期に一般的に知られはじめた。その頃は「お宅族」、「オタッキー」、「オタッカー」と呼ばれた。明確な定義があるわけではなく、現在はより広い領域のファンを包括しており、その実態は一様ではない。

英語では「ギーク(geek)」「ナード(nerd)」という語があり、しばしばマスメディアなどでは安易に訳語として当てられたりしていることも見られるが、どちらも「おたく」とは著しく重ならない部分がある。そのためもあり、21世紀頃から、日本語発音をそのままラテン文字転写した「otaku」も広く通用しはじめるようになった。

何某かの分野に熱中・没頭している人物を指して、その分野を接頭詞として「○○おたく」と呼ぶ・自称する場合がある。

 

 

「おたくとは何か」という定義は、未だに確立していない。その時々により、また論者によりその言葉が意味するものが一定ではない[2]。俗には、萌え秋葉系といったキーワードと強く結び付けられることがある。

辞書的には、ある趣味・事物には深い関心をもつが、他分野の知識や社会性に欠けている人物として説明される[3][4]。おたくという言葉はもともと二人称として使われる言葉であり、1980年代のアニメ・SFファンの一部の間でも使われていた[5]。おたくという語はしばしば漫画アニメーション、ゲームなどと強く結び付けられ理解される傾向にあるが、鉄道マニアやカメラマニア、SFファンや電子工作ファン、アイドルおたくやオーディオファン、あるいは勉強しか取り柄のない「ガリ勉」などまでイメージさせる語であった[6]

1983年中森明夫が、「漫画ブリッコ」のコラムで、「コミックマーケット」に集まる集団を「この頃やたら目につく世紀末的ウジャウジャネクラマニア少年達」や「友達に『おたくら さぁ』なんて呼びかけてるのってキモイと思わない?」と評し、「彼らをおたくと命名する」と蔑称・名詞として用い、以後アニメ・SFファンはおたくを自認するようになった[7]。辞書の定義にあるような否定的な人物像は、アニメ・SFファンによって自嘲的な自己像として語られていたものである[8]。この言葉はアニメ・SFファンだけに限らず、普通とは見なされない趣味を持つ人、社交性や専攻する趣味以外の常識に欠ける人に対しても使われるようになった[9]

おたくは広い意味をもつ言葉となったため、おたくとその文化を再定義する試みはたびたび行われてきた。評論家岡田斗司夫はおたく文化を創作作品の職人芸を楽しむ文化としてとらえていた[10]精神科医斎藤環はセクシュアリティがおたくの本質であり、二次元コンプレックスを持つのがおたくだとした[11]哲学者東浩紀サブカルチャーとの結び付きを重視した[12]

岡田によれば、1990年代頃からは否定的な意味は薄れ、肯定的に用いられるようにもなったという[13][14]。なにかの趣味に強いこだわりをもつ人物という意味でも使われる。この意味では、こだわりの対象に対して、所得や余暇時間のほとんどを費やす「消費性オタク」と、「自分の趣味を周りに広めたい」「創造活動をしたい」と考える「心理性オタク」とに分類される[15]

 

類語・類型編集

古くは伊達者や酔狂者ともいい、「伊達や酔狂ではない」といった慣用句は、本来は生業と趣味の違いをさしたものである。いわゆる生業としての糧を得るために物事に没頭や陶酔するのと、趣味で没頭や陶酔することを分け隔てて考えていた。その他に好事家や物狂いなどがあり、現在では、愛好家とされるが、物狂いや酔狂からの転用で、「~狂」や「~きちがい」など乱暴な言い回しがある。

マニア・知識人・学者との違い編集

強い興味や関心を持つという点でおたくはマニア知識人学者とあまりかわらない[16]社会通念上、あるいは評価者が個人的に許容しにくい趣味、外見的な容貌や行動様式の場合、偏見をこめ否定的におたくと呼ばれ、好意的に表現する際にはマニアと呼ばれるという意見も見られる[16]。概して、作品などについて評論など行ないそれが社会に受容されていれば知識人・評論家と名乗ることも可能だが、おたくは消費のみにとどまる。

違いに関する意見

  • 評論家
    • 岡田斗司夫は、それが民族といえるかどうか、すなわち独自文化を作り上げるかどうか、がオタクとマニアの違いであるとしている。マニアはできないが、オタクは「オタクっぽい服や口調」のように独自の文化を作り上げることができる、とオタクをポジティブに評価している[17]
  • 社会学者
    • 宮台真司は、マニア・学者とオタクの違いとして、前者は(例えばマニアであれば切手収集、学者であれば恐竜の研究など)その趣味を好むこと自体には他者にとっても理解可能であるが、後者は(漫画・アニメの少女に欲情するなど)他者には理解不可能であるという違いを挙げている[18]。また別の説明として、マニアの没入対象には性の自意識が関係していないが、オタクの場合はそれが関係しているという点[注 1]を挙げることもできるという[20]。宮台の整理によると、1977年頃から若者の間で「オタク系とナンパ系の分岐」が発生しており、(魅力的ではなくなった現実を乗り切るために)現実を記号的に装飾し性愛に積極的にコミットするという方法(現実の虚構化)を選択したのが「ナンパ系」であり、逆に性愛から退却し虚構を駆使して現実から遠ざかる方法(虚構の現実化)を選択したのが「オタク系」となる[21]
    • 大澤真幸は、おたくと専門家・趣味人の区別として「意味の重さと情報の密度の不均衡」を挙げている。すなわち、通常であれば意味がある情報だからこそ集積されるという比例関係にあるのに対し、オタクの場合は意味の繋がりを持つことなく情報の集積それ自体が目的化しているのだという[22]
    • 樫村愛子は、1970年代には(単なるマニアではなく)コミュニケーション能力や時代への適応能力の欠如といったネガティブな面がオタク(文化)の重要な特徴となっていたが、近年ではマニアを含めた広い意味で用いられる傾向があるとしている[23]

語史編集

「御宅」という呼びかけ編集

用語としては私的な場面で用いられる二人称敬称(「お宅様」=あなたさま)であり、もともと山の手言葉としては一般的であった[注 2]。いわゆるオタク趣味者が互いを指して「二人称敬称として」使っている例は、1980年頃の彼らを描いた作品中に既に見られる[26]

おたく族編集

中森明夫が「漫画ブリッコ白夜書房)」誌上で1983年6月号から全3回にわたって連載したコラム『「おたく」の研究[27]』において、「中学生ぐらいのガキがコミケとかアニメ大会とかで友達に『おたくら さあ』なんて呼びかけてるのってキモイと思わない?」「この頃やたら目につく世紀末的ウジャウジャネクラマニア少年達を『おたく』と名づける」と、その人間類型をおたくと呼ぶことが提案された。この文章は当時の読者から猛反発を買うことになり、同誌の編集者であった大塚英志との間で論争が繰り広げられた。最終的に中森は大塚により、本誌から弾劾され永久追放されることになる。

この件の背景については、ホーテンス・S・エンドウ(遠藤諭)の『近代プログラマの夕』単行本 p.52 によれば、『最近では、(略)求人広告にまで使われているこの言葉は、もとはといえば、私の仲間らで、かれこれ7年ほども前に使い始めたものなのだ(この間の事情は当時某誌に連載された「おたくの研究」に詳しい)』とあり(雑誌掲載が1989年10月号、単行本が1991年刊なので、文中の「7年ほども前」は1983年頃のことである)、中森や遠藤らによる『東京おとなクラブ』関係者の内輪の用語から発したものとの説をとる。1989年発行の別冊宝島104号『おたくの本』では中森が「僕が『おたく』の名付け親になった事情」というタイトルで寄稿しており、「おたくの名付け親」は中森による自称でもある。

なお、長山靖生『戦後SF事件史 日本的想像力の70年』では、日本SFファンダムの父である柴野拓美が「年齢や立場の差を越えて、対等な関係を築ける、話し相手への呼びかけ語」として、「おたく」をポジティブな意味で使い始め、SFファンの間で流通したことが言及されている。

なお、「おたく」がマスメディアに取り上げられ始めた頃には、「太陽族」や「竹の子族」に準じて、「おたく族」と呼称された(ラジオ番組「ヤングパラダイス」より『おたく族の実態』など)。また、初期のコミックマーケットが開催された大田区産業会館「PIO」が語源なのではないかという俗説があるが、駄洒落でしかない。

「おたく」と「オタク」編集

大塚英志は「おたく」と「オタク」の違いについて、著書で以下のように述べている。

「おたく」なる語が「オタク」と片仮名に書き換えられるあたりから文部科学省や経済産業省や、ナントカ財団の類がちょっとでもうっかりするとすり寄ってくる時代になった。ぼくのところでさえメディアなんとか芸術祭[注 3]という国がまんがやアニメを勝手に「芸術」に仕立て上げようとするばかげた賞がもう何年も前から「ノミネートしていいか」と打診の書類を送ってくるし(ゴミ箱行き)、そりゃ村上隆宮崎アニメは今や国家の誇りってことなんだろうが、しかし「オタク」が「おたく」であった時代をチャラにすることに加担はしたくない。国家や産業界公認の「オタク」と、その一方で見せしめ的な有罪判決が出ちまった「おたく」なエロまんがはやっぱり同じなんだよ、と、その始まりの時にいたぼくは断言できる。国家に公認され現代美術に持ち上げられ「おたく」が「オタク」と書き換えられて、それで何かが乗り越えられたとはさっぱりぼくは思わない。だから「オタク」が「おたく」であった時代を「オタク」にも「おたく」にも双方にきっちりと不快であるべく本書を書いた。 — 「おたく」の精神史―一九八〇年代論(2004)、朝日文庫

また、「おたく」に含まれ「オタク」には含まれないものについては、以下のように述べている。

ぼくにとって『おたく』は、ひらがなです。宮崎勤を含むからね。岡田東大で「オタク」って言葉を使った時点で、「宮崎の問題は置いておいて」とされてしまった。いわば「おたく」が脱色されたものがカタカナの「オタク」であって、そこから先に一連のジャパニメーション論議が展開していく。それこそ、ひらがなとカタカナのあいだの引き算の中で消費されていったものの中に村上隆なんかはいるわけだから。 — 『リアルのゆくえ』(2008) p5 講談社[28]

転用

「おたく」の語はそのイメージがある種の曖昧性を含むこともあり、軍事兵器オタク(ミリオタ)・パソコンオタク・鉄オタ(鉄ヲタ)(鉄ちゃん、鉄子・鉄)、アイドルオタク(ハロー!プロジェクトヲタ、AKB48ヲタ、ジャニーズ(ジャニ)ヲタ)その他○○オタク・○○オタという風に、特定の対象・分野の愛好者、ファンを指す語として使われる。また、「気持ち悪いオタク」の略で「キモオタ」と称されることもある。その道に詳しい事からデマを見抜く等、頼れる一面を見せる事もある[29]

 

秋葉原とおたくの関係

 秋葉系 参照

 

消費者層としてのおたく編集

野村総合研究所の調べでは、マニア消費者層(いわゆる「オタク層」)の2004年の市場規模は主要12分野で延べ172万人、金額にして約4,110億円に上り、オタクに共通する行動特性を抽出したところ「共感欲求」「収集欲求」「顕示欲求」「自律欲求」「創作欲求」「帰属欲求」の6つの欲求にまとめられるという[30]

近年では「萌えおこし」など、地域振興に役立てる例も各地で見られる。またそれに便乗した異業種からの参入も見受けられる。それらには消費者層としてのおたくの購買意欲を刺激するものから、安易な便乗商法まで玉石混淆である。

 

時代的遷移

オタクは「時代」に合わせて変遷してきた[31]

前史編集

オタクという語が成立する以前にも趣味に生活より多くの時間と金銭をつぎ込むものはおり、古くは趣味人や数奇者(和歌や茶道に熱心な者)と呼ばれた[31]。たとえば戦国時代の武将古田織部などは「オタクの大先輩」と言われることもある[31]。また近世では海外の文物を受容する傾向はマニアフリーク、あるいはディレッタント[注 4]と呼称されることが多かった。海外文化の受容については表面的な模倣を重視する層をスノッブキッチュと蔑視し、あるいはその軽薄で表層的な受容態度を逆に珍重してみずからをそう呼称することもあった。コレクターは古くからおり、ウルトラマンバービー人形ドールハウスなどの玩具コレクターは大人の趣味として一定の評価があり、隠然として存在した。映画スターや歌手を熱狂的に応援するアイドル嗜好はマスメディアの発展と軌を一にし、原点は江戸時代の歌舞伎絵にまで遡れるかもしれない。
また、1950年代中盤から末にかけてのSFファンダムが、後のオタクの母体となったという指摘もあり、子供向けと考えられていたものの中に、大人でも楽しめるものが存在し、また、作品から派生する二次創作、サークルやイベントでの交流など、オタクの特徴とかさなる部分がある[31]

昭和50年代のアニメブーム(1970年代後半~1980年代中期)[31]編集

この頃のアニメーション作品の中には、従来の児童向けに混じって、中高生などの青少年層を対象とした、比較的ドラマ性の高い物が増えたことも、アニメーションブームを加速させた要因に挙げられる。この現象において『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』『ルパン三世』といった、一連のテレビ放送・劇場公開作品の大ヒットが、アニメ産業の急速な成長を促した。この頃は、侮蔑や否定的な意味合いが比較的少ないアニメファンと言う言葉で呼ばれていた。やや遅れて、当初は子供向けとして企画された『機動戦士ガンダム』が登場。中高生のアニメファンに人気を博し、「ガンダムシリーズ」と呼ばれる一連の作品群と固有ファン層を派生させた。
そのような流れの中で、1978年(昭和53年)のアニメージュをはじめとするアニメ雑誌の相次ぐ創刊、社会現象となったガンプラブーム、1980年(昭和55年)のアニメポリス・ペロ(創業当時は「アニメショップ―」)や、1983年(昭和58年)のアニメイトなどの専門店の創業などにより、児童向けでないアニメ市場の存在が認知され始める一方で、そのころ既に「オタク」的な人種がアニメファンに存在していたことから、主として一定の文化的価値を認められつつあった旧来の漫画・SFマニアから、新興のアニメ、及びそのようなアニメファンに対するネガティブな態度を反映して、過度なアニメファンが「おたく族」という蔑称で呼ばれ始める。

バブル景気時代(1980年代末期~1990年代初期)編集

バブル景気の頃から、プロダクション制導入に伴う大量生産期となり潤沢な資金力・労働力を背景に表現力が高度化したアニメーションに対し、尋常ならざる興味を抱く人が増加した。また同時期、バブル景気に伴う余暇時間と可分所得の増大からテレビビデオデッキ・高価なオーディオセットを個人用に購入するケースが増え、それらに耽溺する人が増えたことも、おたく増加の要因として挙げられる。この頃、「おたく」という人間類型の呼称が確立し一部では社会現象として着目され始めたと言われる。1985年(昭和60年)にはスーパーマリオブラザーズが爆発的にヒットしファミコンおたく・ゲームおたくが登場し、ゲームに没頭し学業を疎かにする児童・学生が次第と社会問題となる。従来はサブカルチャー趣味を持つ者の間で使われる隠語に過ぎなかった「オタク」であったが、1988年昭和63年)から1989年平成元年)にかけて起きた東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人がオタクという一面も持っていたことから世間一般にも知られるようになり、事件ならびに犯人像の異様さも相まっておたく差別が起きるようになる。

エヴァンゲリオンとテレビゲーム(1990年代後半 

  哲学的な問いを視聴者に対して想起させる『新世紀エヴァンゲリオン』の登場は、学歴偏重社会の崩壊や景気鈍化傾向にあって漠然とした不安を抱える青少年層に強い影響を与え、関連事象(セカイ系)は社会現象とまで言われた。一方、テレビゲームパソコンゲームの高度化と普及に伴い、ゲーム市場が広がったことは、ゲーム関連企業にとっては大きな福音となり、多数のゲーム制作会社が勃興を繰り返した。1995年(平成7年)に、Microsoft Windows 95が発売され、家庭へのパソコン普及が進んだことで恋愛ゲームおたくエロゲおたくなどが一般化した。またときめきメモリアルシ