涙の誕生日。 | お父さんの娘に生まれて、幸せだったよ

お父さんの娘に生まれて、幸せだったよ

「私には何もないな~」独身、パートナーも友達もいない、毎日会社と家の往復、あるのは仕事のストレスと疲れだけ・・・
さて、どうしようと悶々と、でもどこか呑気に過ごしていたなか、元気だった父が肺ガンであっという間に他界。私はこの悲しみを携えてどう生きてく?

昨日、47回目の誕生日だった。

 

父が旅立ってから初めての誕生日。

 

47年前の6月22日のお昼過ぎに私は生まれた。

私には子供がいないから、我が子が誕生した喜びは想像はできても実際にはわからない。結婚もしたことがないから、愛する人の子供を産む喜びも、味わってみたかったけどわからない。

 

父は、伯母の話によれば若いころから無口で大人しく、静かに読書をしているような人だったらしい。独身時代からの写真を見ても、社員旅行やイベントの時にもガハガハと笑っているような写真はなく、笑っていても静かにほほ笑む写真が多い。

 

そんな父も、私が赤ちゃんの時や幼い時の写真は、大きく口をあけ嬉しそうに、はつらつとした笑顔で写っている。新潟の高校を出て誰も知る人のいない横浜に出てきて、携帯も何もなかった時代、寂しい想いもたくさんしただろう。 そんななか家庭を持って、一男一女を得て家も建て、責任は生じこそすれどんなに幸せだったのだろうかと思う。

 

おこがましいかもしれないが、私たち兄妹の存在は父にとってかけがえのない、幸福の塊そのものだったのではないだろうかと思う。特に私は、小学生ぐらいまではお父さんにベッタリだったから。

 

 

大人になってからは、私は大人しい父を、頼りない、男として魅力がない、そう思って軽んじたり、めったに怒ることもないから小馬鹿にした態度をとったり母にばかり頼ったり・・ずいぶん父を蔑ろにしてきてしまった。 だから、昨年父の具合が悪くなり、突然の末期がん宣告、入院9日目での旅立ち、・・・急展開の中で、怒涛の悲しみ、焦り、津波級の後悔が襲ってきた。私、なんて最悪な娘だったんだろう、と。 去年、9月ごろだったか、母と些細なことで大ゲンカしたときに「お父さんがかわいそう、孫を一度も抱けないまま・・」と言われた。母も、心に余裕がない日々の中で口走ってしまったことだろうけど、本当にそのことは父に申し訳ないと思った。(兄は結婚しているが、夫婦で治療を頑張ったが子供に恵まれなかった) もちろん、私が結婚してたとしても子供ができたかはわからないことだけど、・・・それにしても、

いつまでも独身の娘がいて、その娘には蔑ろにされて、父の命が消え入りそうになってようやくお父さん!本当は大好きだったと気づいたよ!ごめんなさい!という言葉も意識が混濁してからようやく投げかけてもらって、・・・  でも、写真で振り返る父には間違いなく笑顔はじける時代もあって。 

 

お父さん、私はもうこんな年だし結婚できる可能性は高額宝くじに当たるような確率と同じだろうけど。

大人しいけど、目立たないけど、実直で芯の強い、たくましくて優しいお父さんみたいな男性と結婚したいよ。来世に持ち越しでもそうしたいよ。

 

今朝、また父の夢を見た。家で療養している父に毛布をかけてあげたのだが、寒がる私に(明け方、涼しかったので本当に少し寒かった)病身の父が毛布をわけてくれた夢だった。お父さんは、いつまでもいつまでも優しいんだね。

 

今、このブログを打ち込んで涙が止まらない。