午前一時。
人種や国ごとで人を好いたり、嫌ったりする人がいる。
少なくない。
私はそうなりたくない。
何かと自国のスターの偉業を自分のことのように誇る人がいる。
組織に個人として帰属意識があり、その帰属意識をスターにもあると考え、スターの偉業が組織に帰属すると思い、恥ずかしげもなく自分が誇る。賞賛とは違う。虎の威を借る狐のよう。
同じように、何か昔の遺産の数を挙げ、どこかと比べ、うちは伝統を重んじると言い張るが、大事にしてきたのはお前じゃない。
そういう人(達)がいたのは事実であり、その人(達)を賞賛することは全うだ。そしてその人(達)が、伝統を重んじ大切してきましたと、いうのなら、それはその人(達)が誇るべきものだ。
例えば、サッカーのサポーターが自発的にゴミを拾う。日本だけだ、日本素晴らしい。という感じもそうだ。
終着点が間違っていることがわからないのか?
確かにその人たちの行いは、悪いことではない、だろう。その人たちが賞賛されるのはわかる。
しかし実際そうせずに帰った日本人もいる、だろう。
なぜ、日本人としての手柄になるのかよくわからない。
俺ではない、お前でもない、ただただ、ごみを拾ったサポーターを賞賛した。我々ではない、その人たち、ただそれだけだ。
悪いことでも、そうだろう。
何かにつけて、~人は皆、~する人は皆~。という論調がある。
私はそういう人になりたくない。
私はそういう風に見られたくない。
ただの、個人だ。
