御無沙汰しております。。。
私の近況としましては・・・
4月1日、母から「父の癌が再発し早ければ来月には・・・」と連絡を受けました。
エイプリルフールではありましたが、こんな冗談はあり得ません。
年度替わりで私はA課へ異動、週末のA課での業務初日に上司に理由を話し、翌週に有給休暇を取らしてもらいました。
A課へ異動したことで平日にB課の新しい業務を覚えて欲しいと火曜と木曜に仕事が入りまして、週末がA課の仕事なので、連休が全くない4月となりました。
その為、急遽火曜日の1日を有給休暇にして帰省したわけです。
帰省してみた所、まだ父は動ける状態で実家でのんびりしておりました。
母曰く、「5月のGW辺りかな、と医師から言われた」と。
そうか、余命1ヶ月か・・・その割には元気そうだな・・・これが私の感想でした。
帰り際、両親が玄関まで見送りに来てくれて、母に促されるように父と握手を交わしました。
父と握手をしたのはいつ振りだったかな・・・
確か私が大学生活を送る為、東京で一人暮らしをする際、実家の荷物を軽トラックで運んでくれまして、その別れ際に「がんばれよ。」と握手をした以来かな。
4月は仕事の都合上、帰って来られるのはこの日が最後・・・
「もしかしたら・・・」と父も母も涙ぐんでいました。
「何かあったら呼ばれるだろう・・・」
この辺りから実家からの連絡と父の病状を気にする日々が始まりました。
「5月上旬ならば・・・」とは思いましたが、何があるかわからない。
先の見えないもの、予約や通販もここからは自重して備える日々。
そして、何事もなく4月が終わりました。
5月、世間はGWで10連休なんてニュースを見ながら、私は私の日常を過ごします。
GW最後の日の5月6日、岡山に帰省しました。
父は、かなり弱っていたものの普通に話ができました。
ただ・・・ボ~ッとしており、かなりしんどそうでした。
5月の弊社、A課はB課との兼ね合いで週休2日となっており、毎週月・火曜日が休みという日程でした。
「これが世間的な週休2日制か・・・」と思いましたが、弊社は隔週週休2日制なので、祝日の2日分を含めて週休2日となっています。
「この御時世に隔週週休2日制の会社って・・・」と思いますが、それは弊社人事部もようやく気付き始めたようで、新入社員の募集で良い人材が集まらないポイントは休日の少なさだと。
週休2日制にするために勤務時間を延ばすかというアンケートが行われたりしたなぁ。
会社の度量で、このまま週休2日制にすればいいのに・・・
休日が多い会社は労働基準法に違反していないだろ?
異動して慣れないA課の仕事、休みの日に岡山に帰省して父の様子を見に行き、また仕事が始まる・・・
気温の変化にも対応しきれず、5月2週目、3週目は久しぶりに風邪をひいてしまいました。
その為、帰省は見送り。
何も連絡がないことを祈るのみです。
5月最終週、帰省すると・・・父は実家で点滴を受けていました。
病院では長い時間の点滴に耐えられないようで、実家で2時間の点滴・・・
体はやせ細り、食事ができていない状態でした。
癌が再発してからは緩和ケアだけ行っており、なるべく痛みがなく、楽になれるようにしていたのですが・・・
やはり楽には逝けないようです。
そもそも緩和ケア病棟へ入院する話をしていたのですが・・・
近くでお世話になっていた病院の医師が、「患者が望むのならば、なるべく自宅で・・・」という方針なのでしょう。
母は医師からの入院の勧めを待っていたようで・・・
その辺りで考え方の違いがあったように思います。
私が帰った翌日、その医師から「かなり弱っているので、覚悟をしてください」と母から連絡がありました。
それは前日に私が見ても思ったし・・・
もうGW前から覚悟はしているのだが。
週末に、その旨を上司に報告し、急に抜けても支障のないよう日程を変更してもらいました。
週末に急な連絡を受けてもおかしくなかったのだが・・・。
6月2日、日曜日の仕事を終え、実家へ連絡。
医師は日曜日にも往診をしてくれたようだ。
ただ、状態に関しては何も言わなかったと。
そして・・・このような状態なので、翌日から帰省することを伝えたのだが・・・
母から「疲れているので今週の帰省は控えてください」と。
「父がギリギリの状態なのに?」とは思ったが、母が看病をしている期間を考えると何も言えなかった。
昨秋に胃癌の手術をして、その後も看病、そして再発・・・
たまに帰省して顔を出すだけの私には何も言えない。
寧ろ、母が体調を崩さないかが心配だ。
それに・・・母も疲れているが、私も疲れていた。
休みの日に休めないのは、私の老体には厳しい。
お互いの為、帰省は控えることにした。
自宅で看病をするのは良いが・・・家族の負担は大きいだろう。
綺麗事だけでは済む話ではないと思った。
6月3日・・・
「今日だけは逝かないでくれ・・・」と思った。
私の誕生日が父の命日は勘弁して欲しい。
慌ただしくしていたせいか・・・本当に何も感情が動かない誕生日だった。
長澤まさみさん、お誕生日おめでとうございます。
そうして、今日は私の病院への通院日。
日程を変更するべきかと考えていたが、通院することができた。
変更しようと思っても、いつに変更したら良いのかが悩みどころだったし、
新しく始めた薬も今日を持って切れる。
結局、今日通院できなかったら、後の調整が難しかったのだ。
病院に入る前、マスクを忘れたことに気付いた。
でも、「もう6月だしな・・・」と思ったが、受付で「マスクをお持ちでしたら・・・」と言われ、コンビニで購入。
病院だからしていた方が良いのだろうけど・・・もう暑いよ。
今日の検査結果
蛋白 +2 (前回 +2)
潜血 ± (前回 -)
糖 +4
クレアチニン 1、28 (前回 1、34 前々回 1、31)
蛋白/クレアチニン比 0、99
尿酸 4、0 (前回 5、3 前々回 5、3)
中性脂肪 100 (前回 156 前々回 117)
糖の+4は新しく始めた薬の副作用。
薬が効いている証拠を考えて良い。
他にも、クレアチニンや尿酸が下がったり、腎臓だけでなく肝臓の数値も少し良くなっていたものがあった。
医師も「いろいろな所に少しずつだけど効果がある。やはり良い薬。」だと。
尿酸値が新しい薬の効果で落ちたこともあり、尿酸値の薬を20mgから10mgの薬に変えることになった。
尿量は以前の薬程は増えていないように感じる。
時々喉が渇くので、全くではないと思う。
しかし、血液が濃くなっているようなことはないので続けても大丈夫だと。
体重が3kgほど落ちていた。
薬の効果だけならば、だいたいの人が3kgほど落ちるので、これ以上は落ちないらしい。
これは残念だ。
さて・・・
今のところ母からの連絡はない。
今回の件で学んだことが多くある。
まず、緩和ケアがもっと楽に逝ける為のものだと思っていたが・・・
やはり最期を迎える時期になると楽ではない。
かなり苦しそうだ。
やはり最期の命の灯は、自然に消えるのを待つしかないようだ。
あんなにしんどそうなのに。
自宅での看病も、期間が長いと面倒を看る家族の負担が大きくなる。
ある程度のところで入院を勧めるべきだったと思った。
そして・・・
父はどんな想いで日々を過ごしているのだろう・・・
と思ったが、私がそれを実感するのも、そう遠くない未来だ。
そして、父には近くに母がいるが・・・
私は病室に1人きりだ。
そう遠くない未来に起こる厳しい現実・・・
これは避けようがないな。
ちゃりお。