【改訂】ロシア自転車旅行 目次

 

 

 

 

 

Sankt Petersburg (サンクトペテルブルグ) 滞在

走行0km/全走行距離2645km

2001年8月10日(金)

晴、PM曇

 

 

●総領事館へ新聞読み

警備マンも、受付現地女性も、愛想よく迎えてくれる。

待合室には6人ロシア男女が居たが、何気なく大きな声で「オハヨーゴザイマス」と言って入室すると、全員一斉にこちらを向き笑顔で、しかし無言だが、やはり迎えてくれる。この愛想よさ!

ホテルや郵便局、街の店員に、この愛想があるのか?

ここでの愛想は、やはり、他国領事館にお願いに来ている引け目からの表現なのだろうか。

今日の (7/22(日)) 朝日新聞は読みごたえあり。2時間を要した。

「菅見ながら、しかしこの本ほど、、肉薄したものはないのでは?」この「菅見」とは?(2001.07.22朝日「ふくろうの声魯迅の近代」)

「ある少年兵の帰還」鬼内仙次著 創元社1600円

 

●Nevsky Prospekt (ネフスキー大通り/Не́вский проспе́кт) を初めて歩く

少しリュックが異様に感じたので、肩からおろしてチェックすると、文筆袋チャックが全開され、ダラリと大きく口を開けていた。

何も盗られてないようだ。

気付く寸前に開けられたのか、通行人も誰も注意してくれなかった。

こんな事初めて。

やっぱり繁華街は気をつけねば!

 

●宿の朝食 (無料券)

少量のごはんと焼き肉、そして牛乳、パン、チーズ、ジュース、玉子で満腹す。

 

●昼食に韓国料理店へ

y.e=$と初めて知る。

ビールとスープ (スパイシー)=13$⇒377P

高い!

高級料理店とは知らなんだ。

異様に見えたのは、韓国人店主の昼食、及び、従業員ウェイター、3ロシア人女性への実地教育。

声こそ小さいが、雰囲気が厳しいようで絶対君主。

14:00を過ぎていたのだが、家族 (妻、長男、長女、次女) と店の中央のテーブルで食事を始める。

3人のウェイトレスに運ばせるが、悠々たる態度で君臨する。

3人のウェイトレスは奴隷同然。

この雰囲気、日本にはないだろう。

是非、来年は韓国一周をしたいと思う。

 

●インターネットカフェ

M.Brennan/アメリカのシアトル

O本さん、H井さん、M浦さん、N西嬢

ブダペスト、イスタンブールで合った明石市のSさん

 

●絵ハガキ

姉など7人に書く。

 

●ウォッカ

初めて買い、夕方に試飲する。

0.5L≒50Pくらい。

 

●夜10:00頃

S水さん、Y田さん2人そろって遊びに来てくれる。

1時半まで懇談。

Y田健示さん (昭和46年生まれの30歳) 京都の丹後出身、弟1人のみ。

250ccヤマハのオフロード車で、1996年7月神戸港からバンクーバーまで先に送っておいて出発。

ベネズエラ ⇒ ロンドン間は空輸。

ロンドンではカフェでの皿洗い、スシ店等でアルバイト後アフリカ、エジプトへ。

ここ Sankt Petersburg (サンクトペテルブルグ) ⇒ Moscow (モスクワ) ⇒ シベリア⇒ ウラジオストク ⇒ 日本へ。

荒木利行「地球を一周オフロードひとり旅: 走りに走った1200日」小学館

今の宿は

帰国後は写真家になりたいと。旅の。435P

 

 

 

ロシア領に入って第一に驚いた「オンボロバス」

騒音をまき散らしながら走るが、順風でも速度が出ないのか時速50km程

車体の傷みはひどく、窓ガラスが1枚入ってない所がある

乗降扉も、うまく閉まらず隙間だらけで風がビュンビュン入ってくる

ロシア自転車旅行 2001年8月06日(月) サンクトペテルブルク

 

 

 Sankt Petersburg の街で貼り新聞に見入る人々

ロシア自転車旅行 2001年8月07日(火) サンクトペテルブルク

 

 

S水君とY田君 2人とも世界各地を旅している

ロシア自転車旅行 2001年8月11日(土) サンクトペテルブルク