1996年10月05日(土)

快晴

 

 

霊山寺へのお礼参り道

 西山という所で十字路にさしかかる。地元の人の勧める、南下して阿波郡市場町の十番切幡寺へ出るか、東進して瀬戸内海に面する引田町へ出るか迷ったが、遍路初日に歩いた道を一部とは言え戻るというのはどうしてもこだわりがあって、結局東進する。朝日に向かうのは少し歩きにくいが、菅笠をグッと目深に被る。
 引田町に着くとトラック等の車が急に増える。しかし瀬戸内海に出て、海を間近に見るとやはりうれしい。海を左手に見てしばらく南下。途中より右手に折れて大麻峠を越える。この手前で何度目かの乗用車による同乗接待の申し出をいただくも丁寧にお礼を述べてお断りをする。足は絶好調なのだから。しかし強がりを言ったものの、この峠越えは結構あって頂上に登りつめて、南方の行く手を見張らすと、見晴らしはよいものの、山の深さ大きさが見とれて、一番霊山寺が途端にズッと遠方にあるように感じられて絶句。やはりこの下り道は遠かった。 
 途中「鳴門…道路…環境整備…」とかなんとか書いた看板があって、ひっきりなしにダンプカーが砂埃を巻き上げながら右手の谷間に入っていき、満載の土砂を埋め立て処分している。徒歩者の自分にはこのダンプカーによる粉じんだけが迷惑であったが、素人ながら何故わざわざ鳴門の土砂をエネルギーの法則に逆らってまで山の上にまで運び上げなければならないのか不思議に思う。山の環境破壊にもなるのではないかと心配したくなる。また話が飛んで恐縮だが、かの松下幸之助翁はかつて日本国土改造論の一環のなかで、日本は山国である、住宅地がきわめて狭い、山をけづって海辺を埋め立てると埋立地だけでなくけづり地も利用できるうんぬんの土地拡張論を展開しておられた。環境破壊につながらぬように土地の選定と細心の土木設計が必要だが、少なくとも、土砂を下方に移動させるというのは理にかなう。鳴門からこんな山中に運び上げねばならないところをみると、よほどのローカル上のむずかしい問題があるのであろうか。
 山を下りるとそう遠くなく、一番霊山寺に着く。戻ってきたうれしさも、無事結願の報告のうれしさも勿論おおいにある。しかし正直なところ自転車に戻れるというのもなんとも嬉しくてしかたがないのである。これまでの道中、自転車の有効性をズーッと感じてきた。楽だし早い。車のような迷惑な空気汚染の心配もない。少々の難路なら担ぎ上げての歩渉も可能である。やはり自転車はよい乗り物と思う。