【改訂】定年遍路記 目次
 

 

1996年9月10日(火)

 

 

遍路道案内、保存協力会マークについて2
 7時20分、ビジネスホテル空港を出る。朝食はパンと野菜だけだったので歩き始めるとすぐに空腹となる。しかし如何せん、道中に食堂が不思議とない。 
 

三十二番禅師峰寺(ぜんじぶじ) 8時45分着。境内からの眺望は絶景で土佐湾、太 平洋が一望できる。不思議でもなんでもないのかも知れぬが、どうしても気になるのは歩いてきた左方の室戸方面ではなく、これから歩いていく右方の足摺岬の方ばかりであった。あの雲の下あたりであろうかとはるかかなたを遠望する。 
 なお、境内全体に海底で見られるような異様な溶岩状の岩が沢山露出しているのには驚かされる。かつては海底にあったものが古代に隆起したのであろうか。本にもそう解説があるが。 
 

  静かなる我がみなもとの禅寺峰寺 浮かぶ心は法の早船 
 

三十三番雪渓寺(せつけいじ) 浦戸湾を渡るのには今では浦戸大橋ができているが、遍路道に従い、歩行者専用のフェリーで渡るほうがはるかに近道とのことでそれに従う。 
 雪渓寺、山門なし、よって仁王様もご不在。灯明台、ガラス戸不備で消火ローソクの林立。このお寺は長曽我部元親の菩提寺。この隣が秦(はた)神社でやはり元親をまつる。戦国時代を現代感覚で判断するのは筋違いかもしれぬが、四国八十八ヶ寺の実に多くが、この男の戦乱戦術で焼かれている。このことがどうもいただけない。前記中島久雄氏の「へんろみち」にも氏が土佐出身者として「心ひるむ一つの思い」としてことわっておられる。 
 

  旅の道うえしも今は高福寺 のちのたのしみ有明けの月


三十四番種間寺 (たねまじ) 山門なし。細長く狭い境内なるも清潔なお寺。長閑な農村のなかにたたずむ。

 
  世の中にまける五穀の種間寺 深き如来の大悲なりけり