ブラーデル⇒ズォアーゼル (Zoersel) 67km 
1998年7月21日(火) 曇、強逆風、午後小雨  7月22日(水) 晴れ 連泊滞在

 

 

 

 

【改訂】定年欧州自転車旅行 目次

 

 

ありがたい弁当に感謝感謝!!
 腹がすいてくる。道路舗装も悪いのか実に埃っぽく、細かい砂粒か何度も顔に当たる。風よけにどこかの店に入って休みたいのであるが肝心の先立つものがなく、仕方なくいつまでもガマンして走る。
 囲いのあるバス停あり。ここでやっと今朝いただいた弁当を開く。巨大サンドイッチに煮抜きのタマゴ、バナナ、果汁ジュースと何故か2ケずつ入っている。 2人分または2食分と言う感じ。 ビールがほしいところだが…詮なし。結局、腹空きに負けてこの巨大弁当を全部食べてしまう。それにしてもこの弁当、これを頂いていなかったら一体どう凌いでいた事だろう。ありがたい事だ。老ご夫婦に感謝するとまたも目がにじむ。
 ズォアーゼルのYHには、13時半着。17時オープンとあって入口は閉まったまま。金欠と小雨で進退きわまれり。庇の下の雨のかからぬべンチで小さくなって横になっていると居眠ってしまう。目が覚めると、チャリダーが他に2人、同じように寝ている。
 定刻オープン。受付で開口一番、
「ベルギーのお金を持っていない。今日は国民休日とかで…明日支払いたいのだが…」
 と言うと、相手の受付事務員の返事よりも先に、
「そうなんです、私もベルギーのお金がないのです…」
 と後からのつぶやき声。これがなんと日本語!! それもクセのない見事に流暢な日本語。驚いて後ろを振り向く。
「アレレレレッ…貴方、日本人?!」
 と叫んでしまう。
「いや、日本人ではありませんが少し日本語がわかります」
 問題の支払いの件はオランダ通貨でOKとなりホッとするが、正直なところそれどころではない。この見事な日本語を話す外国青年に惹きつけられてしまう。お互い、部屋に荷物を運ぶのを後回しにして、ロビーのソファーに腰をおろして話し込む。勿論日本語で。
 彼は32、3歳のドイツ独身青年。濃いひげ、黒い頭髪、中肉中背の丸メガネ男。
「小生、先ほど日本語を一言も発していないのに日本人と何故わかりました?」
 と聞くと、
「あなたの雰囲気ですよ」
 と。ドイツ本国で約3年間日本語を独習して日本に渡り、千葉県に居を据えて東大と民間の研究機関に1年間通ったことがあるとのこと。現在もドイツの大学に席を置いて研究生活を続けている由。
「日本語の独習のきっかけ、目的は?」
 と問うと、
「ドイツの大学でも日本語の文献は独、仏、英文ほどではないが、量的に結構あって重要な位置にある。日本語を勉強する学生が周りに少なかったのでその気になった。自分の専攻は環境工学で…」 
 一言一言、言葉を選んで話してくれる。結局この青年と、実に楽しいYH生活を楽しむことが出来た。
 夕食後、今旅行初めてのデューテイワークを経験する。これはYH特有の「義務作業」で、食事者全員で残飯の処理、皿洗い、食卓拭き等を行うのである。
 これには驚く。残飯量のすごいこと!! 宿泊客はわずか6、7人。管理人従業員いれても10人余。各自の皿には食べ残しが多い。パンにしても肉煮物にしても何故食べきれないのにお代わりしてまで盛り付けするのか?! パンも齧る前に食べきれるかどうか判らぬのか?!
 大鍋となるとさらにすごい。炒めご飯もサラダも肉煮物もどっさりと残っている。これらを全て200リットルのドラム缶に廃棄するのである。ため息が出る。どうしてこんなに大量作ったのだ?! 見込み違い?! これはどう見てもバ力のすることだ。
 弱肉強食の動物の世界であっても無用の殺戮は行われないと聞く。それでも残った小肉や小骨はハイエナ、鳥類、昆虫類が食べ尽くす。小生は戦中戦後の食糧難時代を経験したせいか、駅弁を開いてもふたの内側に付いた米粒から大事に頂く。この小生から見るとここ欧州は、少なくともこのYHは、日本と同様異常としか思えぬ。狂っている。
 本によるとこのデューティワーク、昔はもっと頻繁に利用者に課せられていた由。今の世はそれを強いるようでは客離れにつながるのであろうか。悲しいことである。この制度をもっと心強く継続すべきである。そうしてこそ、連夜この欧州でもテレビのニュースでアフリカ諸国の飢餓の惨状が放映されているが、その努力が実ってくるのではなかろうか。キリスト教国の家庭では食前に感謝の祈りを神に捧げるというのに。

 

 

ズォアーゼル (Zoersel)のYHにて

オランダ人 Mr.Lont (中央) 、日本語が流暢なドイツ人 Mr.Kulker (右)

定年欧州自転車旅行 1998.07.21(火) 18:30

 

 

 

 

(1998年)