反省、って、こちらの言葉でもあるんですが、言葉としてきついからあまり使わず、政治的、くらいしか使わない、という認識でした。
その代わりに使うのが反思。
で、ちょうど中国語の勉強のときに文章で反省、が出てきたので、違いについて話し込みました。
まず反省の意味について、
間違いを顧みて、自分の責任を認め、悔い改める
くらいの意味とか。
で、反思は
出発点ではなく、経過を思い返し、改める。
くらいの意味だとか。
じゃあ、反省は反省じゃん。間違いを責任認めて改めるわけでしょ。
でも、こちらでは、自分の責任を認めるということは負けを認めることで、ほとんどしないので、”反省させる”のは可能性としてほとんどなく、相当強制的な意味になるようです。だからあんまり使わない。自分が嫌なことは人にさせない、ってことで筋が通るようです。
だから、根っこまで否定しない反思、が活躍する。
日本人は簡単に反省しちゃうから、”そんな簡単に反省するとは、心がこもってない、本当は反省していない”と思われちゃうんでしょう。
これは根深い。なまじ言葉が同じだけに、また、意味も同じだけに、文化の差異で受け取り方が違う。
将心比心(人の立場に立って考える)ってことばも、方向性が違い、自分の考えを人に当てはめて相手もこう思っているだろう、としますし。
だからつまり、自分も反省するのってありえないから、相手がそんなに簡単に反省できるわけがない、ってことになるわけです。
日本人から見れば、中国人は反省しない、中国人から見れば、そんなに簡単に反省する日本人は嘘つきで信用ならない。
まあせいぜい身の回りのひとにこのあたりの感覚の違いを地道に伝道していくしかないのかな。