最近実在したかさえ疑問とされる聖徳太子。
日いずるところの天子とか、和をもって尊しとなす、とか、日本人の心のコアにかかる人物なんですが。
確かに、歴史は、事実の認識と積み重ね。あるものはある、ないものはない、のが科学的立場。それはわかる。でも、あれもないこれもないとセンセーションを起こして視聴率を稼ぐテレビやネットの最大の標的。なんせ的がでかいですからね。
でも、昔の話しだし、ある、とせよ、ない、にせよいずれも可能性は否定できないはず。けど、日本人の常で、新しい科学的客観的といわれると弱いところがもろに出て、ないとするのが知識人でおしゃれ、という方向になびく。
そんな科学的立場で客観的に歴史を研究するのって、国々によりレベルが全然違う。まじめにやればいいってもんでもないし、インテリジェンスのない日本ではそこに第3国の意図的な操作も入り込みやすい。
この人が存在しなくなって一番うれしいのは隣の国の政権与党。さらに扱いやすくなりますから、日本人。
こんなに簡単に、客観性を担保に人の国の歴史をいじれるんですから、絶対やらない手はない。この国に住んでいて、この国の政権与党のやり口を見ていると、私がその立場なら、絶対こんな費用対効果の高い手段を使わないわけがない。ただの妄想、ともいえないと思う。
じゃあ、どう対応すればよいのか。さしこに9000票入れちゃう国の人たちだから、金とコネでどうにかなることは絶対するし、それに刃向かえば消されるし。あんまりはびこる前にどうにかしたほうがいいと思うんだけどなあ。民間人には無理だけど。