中国東北のひとは必ず、ほかの地区と比べてわれらは人情に厚い、といいます。
南のほうの人々、特に銭ゲバの上海人とはちがうと。
これまでも散々こちらに住む日本人同士話しましたが、どこが人情に厚いのか、ただのセルフィシュな連中じゃん、というのが定説。ただ、怒らせてもつまらないので皆さんの前では人情に厚いなあ、とか調子合わせてますが。
しかし、上海に今回出張に行って思ったのですが、上海では、たとえば席が離れてしまった列車や飛行機では頼めばだいたい代わってもらえます。でも、東北では絶対無理。
今回も帰りに、連れがいたので真ん中の席と通路側の席を替わってくれといったら”なんで真ん中の席にかわらなきゃならないんだ、といやみの捨て台詞までかぶせて断られました。これまでも列車で家族で出かけたとき子供が一人になってしまったときに代わってくれといっても断られ、そのほかにも思い出すだけでも全滅です。どこが人情に厚いの?
彼らの人情に厚いという根拠は、これまで聞いた話を総合すると、飯食ったときに割り勘にしない、細かいことにこだわらない、という2点に集約されます。飯ですが、ありがた迷惑の大量飯を押し付けるだけ、小さいことにこだわらないので、街中ごみだらけです。
結局自分の都合がいいときにあまったものをあげるだけで、それが人情に厚い、という基準が出来上がっているんですね。確かにこの基準に当てはめて当てはまればOK、当てはまらなければNGというのなら、自分のご近所ではそれはお互い人情に厚い人の集まりになるわな。
そのくせ、自分に都合が悪いと”人情味にかける”、と反論します。自分たち以外は基本的に人情味に欠ける人たちだ、という田舎の思い込みが、この責め句を使わせるのでしょうね。
なんかわかってしまうと腹も立たなくなるというか、貧しい田舎からまだ抜け出していないだけで気の毒、というか。でも、酔っ払ったら反論しそうで怖い自分ができあがってしまいました。おー、やばい。