このお寺、ほぼ真四角の土地にあります。
以前に訪問したとき、入り口はどこだろうとウロウロした覚えがあります。
すると手前のお寺で知り合いになった方がキョロキョロ歩いていました。
行きかたをお伝えして、さきにチャリで入り口に行きました。
ちゃんとこれるのかしら?とちょっと気になります。
毘沙門天様が御開帳になっています。
お参りをして、事務所にいきます。
御住職さんに縁起物の『しおり』をいただきました。
そのうち、さきほどの方がこられ、ホッとしました。よかった。
パンフレット
本尊 釈迦如来 脇仏 普賢菩薩 文殊菩薩
創建年代 宝治元年
由来及び縁起 当山は入永峰嗣法山法蓮王坊伝心寺と呼ばれ、宝治元年(一二四七)執権北條時頼公の開基。
曹洞宗初祖永平寺の開山、道元禅師が、宝治元年八月より翌年三月頃まで当山で説法されたと当山の記録にある。寺は数回の入災等にかかったが、入水元年(一五二一)北條氏繁公が道了山より養拙宗牧入和尚を請じ、開山とした(北條氏繁公の墓碑が現存している)。
〈伝海さんの入定塚〉
昔、伝心寺に伝海さんという若いお坊さんが修行をしていた。でも身体が弱かったので、なかなか思うような修行が出来なく毎日悩んでいた。町屋の入口に入切な道があったが、海が荒れたり、入雨が降るとその道がすぐ壊れてしまうので、皆が困っていた。そこで伝海さんは、自分がこの道を守ってあげようと入定塚へ入り、延宝四年(一六七六)七月十七日入定した。
この入定塚は当寺より東へ五百メートル離れた当山の境外墓地内にあり、現在も道行く入々の安全を見守っている。
寺宝
◇楠正成公持仏の毘沙門天像の縁起書
◇江戸中期のもので永平寺において「瑞世の式」を修了したことを証明する書
◇江戸中期の涅槃絵図
◇大般若経六百巻等他多数。
横浜・金渾七福神 毘沙門天
知恵と武勇、戦勝の神様。左手に知恵の経典をいれた塔を携え、右手には悪霊退散の宝剣を握り、足で天の邪鬼(あまのじゃく)を踏みつけています。
昔はインドの神で施福と財宝の神様でした。その後仏教に取り入れられ、仏法を守る神となりました。
スポーツの試合や、受験等の守護、又開運出世、厄除けにも良いとされている神様です。
2008年 正月 訪問