ひとつの出来事を360℃から見ると全然違う見方、切り取り方ができる。
ひとりひとりそれぞれの視野があること、思考があることを改めて思い出させてもらった。
だからこそひとつの固定観念に囚われることなく多面的に視る必要がある。
自分からするとなぜこんなことをしているんだろうと思うようなことにも、その人には理由や考えがあっての行動なので自分が不躾に割り込むことはすべきではない。
人間は完全には理解しあうことは不可能だしそれを理解したうえでお互いが心地よい距離感で生きていけるといいよね。
「人それぞれに似ているようで少しずつ違うへこみやでっぱりがある。
それは何も、外見だけでなく内面だってピースの形に現れる。長所があり、短所があり、好きなものがあり、苦手なものがある。そうやって自分というカケラができあがる。
カケラとカケラがはまって、家族ができ、町ができる。そして、一枚の絵の一欠片となる。だけど、皆がうまくはまれるとは限らない。学校という名の絵、会社という名の絵、なぜだか自分だけ浮いてしまっている。この絵の中に自分の居場所はないのかもしれない。とはいえ、簡単に次の絵を探すことはできない。
無理に押し込むと、周囲のバランスも崩れてしまう。
少し形を変えれば、うまくはまるのに。」
「だけど、一つ憶えておいてほしいのは、自分の理想の形が必ずしも他人にとってもそうではないということを。」
「あなたというカケラがぴったりはまる場所は、必ずあるからー。」
今自分が考えていることをそのまま言葉にしているようで震えた。
これを信じて生きているから、いつかここで生きたいと思う場所に必ずたどり着けると信じて生きている。
今まで生きる意味についてばかり目が行っていたけれど、意味があって生きているというよりは、今生きていることそのものに意味があると思えるようになった。
それは自分以外のすべてにも言えることで、それぞれがいないと今、この世界は成り立たない。
だからこそ皆生きることと向き合うしかないのだと思う。
こういう深層無意識はもっともっと広がってほしいな。