父がチケットを入手してくれたようでこれはラッキー。と、言うのも僕は幼少期から巨人ファンなのです。
幼少期は北海道の札幌で育ち、もちろんテレビ放送は巨人ばかり。父も巨人ファン。やはり巨人ファンに自然になったのである。もちろん当時は札幌ドームもなく日本ハムファイターズも拠点ではない。何度か観に行った球場は札幌にある小さな円山球場。
小学生の頃は兄貴の影響もあって軟式少年野球チームに入っていました。南郷スワローズと言う名の古くからあるチーム。今はあるのかなぁ。
今でも当時の思い出は深いです。土日になれば朝連や試合などが多々あり、だいぶと厳しくて本気でやっていたように思います。
軟式少年野球チームは札幌だけでもかなりチーム数があったように思います。ちなみに僕は今も変わらず背が小さくて、足も割りと早かったので、フォアボール狙いもあり「1番セカンド」が定着でした。
南郷スワローズと言う名だけあって、スワローズと付く名のチームが集まるヤクルト杯と言う大会や、仙台や稚内にも遠征に行きましたのだ。ヤクルト教室と言う名のヤクルトスワローズの選手が教えてくれるイベントもありました。確か当時現役だった土橋選手や荒井選手などでしたかな。さらに巨人の中畑清選手の中畑教室ってのも年に1度あったのを覚えてます。あ、ちなみに母はヤクルトおばさんもしていました。
やはり当時巨人ファンと言いながら、ヤクルトにまみれていた為、92年、93年のヤクルトは強かったし、古田、池山、広沢、飯田、荒井、荒木大輔、ギャオス内藤。少しヤクルトに偏った時期もあったような。
野球に興味のない人には野球のことばかりで、おもしろくない日記ですいません。
僕の幼少期の夢は野球選手だったってことです、かな。
ちなみにその後大阪に引越してからは、周りではソフトボールが盛んであり軟式がなぜないとガッカリしてやる気がなくなり、中学ではスラムダンクの影響で早くもバスケに夢中になり、高校で最初野球部に入ったのですが大阪の炎天下にやられ熱中症により1年の内に野球部をやめ、そして音楽をやり始めたのですが…。熱中症にならなかったら野球をやり続け音楽をやってなかったのだろうか。いや、あの高校に行ってた限りやってたのかもしれないなぁ。
大阪に来てからは阪神ファンは恐ろしいと感じまくり巨人ファンだとは若干秘めて過ごしていました。
で、13年前に行った阪神×巨人は1998年8月2日。
長嶋監督。これがまたガルベスがいた時の乱闘事件が勃発しまくっていた3連戦。ガルベス投手が審判にボールを投げつけた最悪の日が3連戦の初日で、僕が行った最終日も巨人の槇原投手が阪神の矢野選手にデッドボールをわざとあてたとかなんとか乱闘になるという何ともピリピリムード。巨人の川相選手がヒップアタックしたのが衝撃で鮮明に覚えています。そんな観に行った乱闘事件は流石にyoutubeでもありました。
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話を戻すと、22日、綺麗になった甲子園は綺麗でした。
球場の中で買えば高いビール、缶を持ち込んでは駄目なのですがコンビニで缶ビールを買っていっても入り口でカップに入れ替えてくれると言う親切さ。中でそれが飲めるわけですな。
球場に入るないなや声援と球場の光景に鳥肌が出て、うぉー!!ってなり、うぉーっ!!て言うてました。
席は1塁側、阪神側のアルプス席。いや3塁側も、阪神ファン。見渡す限りの阪神ファン。レフトスタンドに6ブロック巨人ファンがいたけれど、それはいつもよりはかなり多いようで。
隣に座っていた木村充揮さん似のおっちゃんはひたすら巨人と審判に暴言。甲子園に来たなぁと同時に複雑な気持ちで黙って観る僕。どちらが打ってもただ黙って。しかし心の中ではかなり応援していたのである。
前日の巨人の脇谷選手のフライを落としたのに落としてないとかでとにかくブーイングがものすごくて、バッターボックスに入るや否やブーイング。恐ろしや。しかし、こんな状況の中で試合をするプロこそすごいなぁなんて改めて目の当たりにしたのでした。
結果は巨人が勝って大満足のまま、しかし、心の中で。

ものすごく綺麗でした。
やっぱり野球はおもしろいです。やっぱり生で観るのは最高でした。そして、野球がしたいです。草野球したいです。
朝から長々と読んでいただきありがとうございました。