小学6年のとき、授業中に校長先生に呼び出されて

校長先生の車で、大人たちの集まりに連れて行ってもらったことがある






何とは言われず




当時の県知事や市長、

お偉いさん達が集まって、





大人たちが数人表彰される段階になって

俺も何故か表彰されて




彼です。





みたいなことを言われたことがある。










その6年生の時、ラ・サール中学に決まっている

という話を親から聞かされて






兄貴たちと同じ、八代市立の第一中学校に行きたいって、


一生懸命毎日言った記憶がある



もう決まってると言われたが





どうにか八代一中に行くことが出来た。







今思うと、今の70歳80歳がまだ40歳50歳だった頃の

熊本県では






俺が小3の時にプリウスの原案のハガキを送ったことや

その他様々な話は、大人や経済界では





大きな話であり





かなり期待されていたんだと思う









プリウスが世に出る頃には俺も病んでしまっていて、



今は普通の、誰でも知ってるハイブリッドの原理も



あのハガキのキャッチフレーズと


全く一緒の最初のCMや





後に青と水色が高級車戦略という俺の案もそのまま採用されていても







未来のクルマのハガキの

参加賞すら俺にだけは届かなかった理由がようやく分かった程度だった






小学生の時には

ボールペンがもらえなかった不思議が






大人になってトヨタの商品として出てきた頃には





もうそんなことどうでも良かった








中学では全校生徒1200人の中で普通に学年1位を取り、


新任だった担任の先生が、「私には夢があります」と言って

学校の先生を辞めたことも









全て

俺の何気ない行動が周りに凄まじく影響を与え続けていることは






今でも変わらないのかもしれない







いや、そもそも高校も大学も
第一志望を
受験すら

お金がなくてしなくて


近所の進学校や
学費半額免除の大学

に行って病んだことも






そもそも、親や当時の大人たちの言う通り

決まっていたラ・サール中学に行っていれば






全て解決しているし、



俺が無理やり八代一中に行きたくて行ったことで





ただ俺がその後辛い人生だったんだろうなあって




塾の先生を最近してて思う。










でも学年1位を取ったり

陸上長距離部でキャプテンをしたり

百人一首大会で優勝して全校集会で表彰されたり

将棋で新聞に載ったり







中学の思い出は



ずっと今でも幸せな思い出が多かった










今香港大学のことを考えて動いたり

政治家になるならんでわめいたり




國士たらんと常に思っている俺のこの40歳も








もともと小さい時からの流れだと



当たり前の事なのかなと今日ふと思った。