高校や大学が決まり
親は高校の制服がとてつもなく高いことにびっくりしたり
生徒はこの不思議な卒業前の日々をつらさのなかで
孤独をもう誰のせいにもできなくなって
終わってしまう過去の日々が
新しい門出より
期待以上に苦しみの解決方法は
高校や大学や就職が解決しないことを実は気づいている
多くの若者がこの街を去り
そして、最初の夏休みに地元に帰ると
まるで変わらない地元に
安心したりする
しかしそれが3年4年たつと
あなたはどんどん変わっていき
地元もどんどん変わっていく
私が八代を出る前は
マックは3号線に1店舗、中心地には寿屋とSATYと潰れかけた廃墟のような状態で営業してるサンリブがあって
新開周辺の川沿いの道は、背の高さほどもある草木をかき分けて
走らなければならなかった
朝5時には当時のおじいさんおばあさんたちがウォーキングのために
公園に集まり
朝4時から走ってる俺は
それを見届けて家に帰るルーティンだった
異常に寒い冬の日には
お年寄りも少なく、
それでもだいたい当時の大正生まれ明治生まれのお年寄りは朝5時には一定数
八代市内各地を歩いていた
広島で大学時代を過ごして
4年後ついに八代市に帰ってきた
広島のイズミを母体とする
ゆめタウンと
全国展開しているJASCOが
八代に2つ出来ていて、
違う街になっていた。
寿屋は、政治屋さんの経営する
介護施設になり
サンリブはちっちゃい平屋のスーパーになり
SATYはこれもちっちゃい平屋のスーパーになっていた。
俺が草木をかけ分けて走っていた新開の川沿いのエリアは
コンクリートで固められて、歩道へと変化していた
昔よく遊んだ公園は全て
草が荒れ放題
高島公園に至っては
木のようになった茶色の雑草が
グラウンド全体に屍のように生えて恐ろしい光景になっていた
とある児童公園は
雑草は緑だが、
それよりも、
人が立ち入るのを嫌がるかのように
地元民によって立ち入り禁止のチェーンが張られていた
松崎公園は
古い遊具がなくなり、
雑草が、隣の火葬場との境界線を分からなくするほど
誰も処理をしておらず
生け垣は、生け垣だったのかも分からないほど
グラウンドへ通り抜けるのもやっとの状況で
グラウンドは、雑草と、なぜか晴れなのにずっと乾かない
ぬめぬめした水たまりだらけになっていた。
チャリンコロードは、舗装がほとんど全域にわたって、剥がれ尽くし
生い茂った雑草と、目の高さまで乱雑にあちこちに伸びている樹木の枝を
かき分けるように
昼間をウォーキングする怠惰な昭和生まれのお年寄り達が
自分の道路かのように、よけもせず突っ込んでくる。
しかもあいさつもしない。
あいさつしても、恥ずかしいのか何かわからんが
あっ、とか、おっ、、とか小さな声を少し発するだけ
田舎の若者が減りすぎて
若者から 挨拶されることに長年慣れていない田舎の八代市の現状
それが2007年の八代市だった
4年もすれば田舎の町は衰退し
それが出ていった若者のせいだと出ているときには気づかない
少しずつ
少しずつ
土木的には良くなった八代市だけれども
ゆめタウンは廃れ
JASCOは廃墟と化し
JASCOに至っては
ベランダがあることで風水的に客を呼び込んでいる建物なのが
ウリだったのにも関わらず
何も知らない新しい管理者が喫煙所もろとも封鎖する始末。
都会に当たり前にある喫煙所は
田舎の町の何も知らない人々は
喫煙所は見たくない!などと
もう遥か昔に東京では喫煙所を増やす方向性になっているのに
未だにテレビワイドショーの中だけで行われている
30年前の一時的な東京の幻想的な目標を
何も知らずに追い続けていて
それが経営の失敗につながり
もうどこの都会でもやってないような、喫煙所を
すみっこにやることをしたり
人吉とか御船に行くにつれて
コンビニから喫煙所を撤去しようとしたり
あちらはあちらで、10年前の八代をまだ追いかけている
全体としては熊本は
福岡に戦後50年遅れ
戦後3年目の広島市にも未だ追いつけず
また東京に150年くらい置いていかれそうな地方行政の有様である
中学高校を卒業して都会に行くもしくは
地方の大学のある主要都市に行く若者よ
まず八代市は、佐賀市にさえも50年以上遅れていることを知るべきである
宮崎の大学本当は嫌だとか
鹿児島田舎なのかなとか
長崎何もないんだろうなとか
佐賀って田舎って言うし、、
ではなくて
すくなくとも八代市は九州でも、人口に対して群を抜いて田舎であることを
知るべきであり、希望を持っていい
佐賀宮崎は、むしろ八代のあるべき姿を君に見せてくれる
私は広島だったから、参院選に勝てば
2年で広島レベルには追いつきたいという希望を20代から長年語っていたが
東京大阪に行く若者は
そのありとあらゆる思春期に感じ取った日本の普通を
ぜひとも就活の時に地元に貢献できる道を選んでほしい
4年間若い時に東京に住んだら
きっと俺の広島のとき以上に悩み苦しみ、孤独を味わうかもしれないが
思春期に、青春時代に、当たり前に発展している都市を見ることは
楽しむためではなくて
地元に貢献できるという点においては
毎日味わうカルチャーショックを
お盆や正月に地元民に語り聞かせてほしい
そしてそれが
海外である女の子も一定数いるわけなのだが
楽しんだ怠惰な自己満足に終わらず
ふるさとに持ち帰ってほしい
わけのわからん、カフェとかカルチャースクールとかを開いて
ビジネスをやったつもりで自己満足するわけではなく
あれがないな
これがないな
東バイパスって昔はバイパスで地上げもひどかったらしいけど
今は渋滞の激しい生活道路だから
広島みたいに、真ん中の緑地帯を使って、東バイパスの上に
新しいパイパスを作らなければならないなとか
平日の夕方から夜の下通りアーケードは人が少なすぎて怖いな
人の歩いていない時間帯のあるアーケードって、お化け屋敷みたいだなとか
帰ってきた時に素直な気持ちで地元に感じたことを
社会人になっても忘れないでいてほしい
卒業おめでとう
君たちが地元に帰ってきて
住みにくいってことは
我々はもっとそれを感じていることを忘れないでいてほしい笑

