ききしこと まことたふとく くすしくも


かみさひおるか これのみすしま








まず万葉集初め、短歌には掛詞があることは


基本事項であり、義務教育の範疇である








そして、太古の歌になると



4つ5つ、


はたまた7つほどの意味があるのも


まず基本事項としておく








明治時代の石碑に



表の文章以外に、3通り、4通りの意味がある崩し漢字の文章が


熊本市内には多く、





昭和時代の白川治水のことが、特に2つ目の意味として多いことも




説明を省き、基本事項としておく







女の子の結婚相手を探すための文章に3つ目の意味があてがわれていることも



自分で熊本市内の数万存在する石碑の文章を自分で見て

確認してくれとしか言えない









八代の万葉集の短歌についての話に戻る







かみさえおるか




の部分は未来視みの文言として







私はその時代を見れないというなかなか切ない文章になっている






ほかの意味は、地元の人達が終生考えてくれれば


古文保護の観点からすると良いのではないかと思う




八代一中の校歌にも、その片鱗を残してあるのに気づくくらいでもまぁ

八代人としてはギリギリ合格と言えよう








八代にはるか未来に神が生まれると言う掛詞の意味について








それは太古から伝わっていることだが










それが、悪い方向に



つい感じ取ってしまう人たちも歴史上いて






麻原彰晃などが、特にその古文につられて


神を名乗った直近の歴史としてあるのも






まず古文を1つ目の意味ですら読めないこの時代には


珍しいことでもある








水島を管理しているおじさんも






お賽銭をこつこつ集金して


日課をこなすだけではなく







平らな文章での説明を出していることを恥ずべきである







わかる人にはわかる





確かに分かる人だけが古文や古文体の石碑を


残し伝えていければいいとも思うし





それはインターネットやスマホや検索機能やAIの時代には





決して犯すことのできない古代文の歴史の伝承とも言える









万葉集の歌を見て多くの人がこの地に観光に来た







九重の貴族や、帝、商人たちにとって




わかる人にはあの古文詩の情景の地なのだ








それを




観光資源として活かすには





まず、八代人がそもそも、




短歌を暗記しなくてはならない






しかしながら






難波津すら分からず


わがよたれよつねならむすら暗記しておらず





短歌をテストのための活用形などという

エリートと言われる人たちでさえ

1つ目の意味だけで読んでしまうこの時代に








果たして




我々は






かみさへおるか


などと言って読ませることさえも難しく






そして







その太古の時代の観光ルートさえ







今は亡きものとなっていることに








八代に生まれたものとして



まず、地元を歴史の良さに気付かせていかなくてはと思えてくる