中途半端な時期に、新入生が現れました。
まあ、永住権をとってオーストラリアに上陸する時期というのは各自バラバラなので、キリがいいときを待たない生徒もいます。
独特の白い肌と、独特の野暮ったさは、たぶん東欧からです。
だって今どきのEUの人間は、みんな英語が共通言語になってるから、こんな学校に来る必要がないんだもん。
駐車場が空いている時間を狙って、朝いちばんに登校する私は暇人です。
さっそく自己紹介をします。返ってきた英語は、おどおどして控えめな口調でした。
でも私はどんどん質問を被せます。ウエルカムは態度で示さなきゃね。
「で、どこから来たの?」
次のひとことに、私は言葉を失いました。
「ウクライナ」
コーヒーを飲んでいた教師のジャスティンが、思わず立ち上がりました。
「ウクライナ・・・。ごめんね、私はあなたに返す言葉を持ってない」
彼女は寂しげな笑みを浮かべます。
「どこに住んでいたの? キーウから近いところ?」
「130kmくらい西」
「130km。そんなに遠くない」「ああ、遠くない」
私とジャスティンは顔を見合わせます。
ウクライナで美容師をしていたイナは、もともと移民としてオーストラリアに来ていた妹を頼って、2か月前にシドニーに来たそうです。
でもイナは移民ではありません。難民です。
家のすぐ近くに、爆弾が落ちたと言います。
いい国に来られてよかったねと声をかけたい。でも言えません。
だってイナは、ウクライナに帰りたいと涙をこぼしているんです。
そして、毎朝起きるたびに、ああ今日も生きていると思うんだって。
冬のこの時期、オーストラリアの空はぬけるように青く、空気は澄んでいます。
教室の窓から見える木々も、朝日を浴びてキラキラと輝いています。
その清らかな朝を感じる前に、自分が生きていることを確認する生活。
中級クラスにいるのはイナだけだけど、初級クラスには何人ものウクライナ人がいるんだって。
オーストラリアはたくさんの難民を引き受けています。それはしばしば社会の負担になって、いろんな問題を引き起こします。それでも新たな難民を呼べるのは、そこに民意があるからです。
15年以上前ですが、ゴールドコーストでいちばん腕がいいと評判の歯科医は、ベトナム出身者でした。
待合室で、オーストラリア人のおじいさんが、自分のことのように自慢していました。
「彼はね、ベトナム戦争の時にボートでオーストラリアにたどり着いた、難民の赤ん坊だったんだよ。そしてね、本当に本当に努力して、立派な歯科医になったんだ」
日本はいまだに難民引き受けに消極的で、それどころか偏見すら持っています。
私はゴールドコーストの歯科医よりも、それを自慢していたおじいさんのことが忘れられません。
他人にしたことは、周りまわって自分に帰ってくる。そうやって人は人を助けてきました。そんな心の豊かさを、日本人も持っていたはずなのに。
ジャスティンは、何かというとイナの席に足を運んで、丁寧に教えています。彼はいま、いつも以上に教師の役割を感じているでしょう。
そして私たちも、微力ながら、彼女の学校生活が少しでも向上するよう協力したいと思っています。
ミャンマーはどうなったのかなあ。あそこは絶対に日本の管轄だよ。