レンジャー

あれはもう15、6年前のことである。
当時自分はエアーガンや骨董品、ファミコンやエヴァンゲリオンという、統一性の有るような、無いようなものにハマっていました。

いつか大きくなったら、自分のやりたい職業につき、趣味が高じて一儲けし、かわいい嫁さんと子供数人に囲まれて、百歳まで生きる、不幸とはほど遠い世界にいるんだろうと、信じて疑っていませんでした。
そんな自分の妄想とは裏腹に、現実の家庭環境は、笑いの絶えなかった家庭から、殺伐としたバイオレンスな家庭環境に少しずつ崩れ始めていたのでした。

両親の仲は、子供から見ても不仲と分かるほど悪く、一週間に2・3回は怒鳴り合いの喧嘩をしていました。
子供だったので、何が原因でそんなに争っているのか、全くわからなかったのですが、いつも親父が怒り狂い大きな声を出し、母が泣くというパターンだったのを覚えています。
そんな状態だったので、家族全員が親父に対して常に何かされるのではないだろうか…?という不安に襲われていました。

自分はといえば、部屋にこもりがちになるようになっていました。
漫画を読んだり、ファミコンをやったりしていても、聞こえてくるのは両親の怒鳴り合い。
とても趣味に没頭するような余裕はありませんでした。
しかし、ある時親父が母に怒鳴るのではなく、手を出した事がありました。
その時のショックはかなり大きなものがあり、その後の親父への印象は最悪なものとなりました。

そんなある日、自分は一人、部屋である恐ろしい妄想をしていました。
親父の暴力がエスカレートし、最高潮に達して、母を殺してしまったらどうしよう?
それは、無い話では無かったのです。
事実、そんなニュースを最近ではよくテレビで見かけるし、親父と母の喧嘩は日に日にエスカレートし、もしかしたら…と、思えたからです。
親父の性格上、母を殺したら見境がなくなり、間違いなく次は俺たち兄弟を殺しにくるだろうと、思えました。
妄想が現実になるかもしれない恐怖を抱き、自分の身の危険を考えるまでは、一瞬でした。
そう考えるといてもたってもいられなくなり、落ち着いた気持ちで眠る事が出来なくなってしまいました。

僕は自分を落ち着かせるため、頭の中でシュミレーションをし、冷静な自分と情熱的な自分を作り出し、対話形式でこの絶望を回避しようとしました。

親父が一階で母を殺して二階に上がってきたら、どうしよう…
どうしようじゃあ、ねえ!逃げるか戦うか!ぼんやりしてたら、ぶっ殺されちまうぞ!
俺は、戦う。

戦えるだろうか?オリジナルの武器を持った俺と刃物を振り回す親父。

駄目だ!どんな手を使ったって勝てる気がしない!

じゃあ逃げろよ!
逃げたいけど、階段から来るんだから、逃げ道なんかないよ。それに今まで集めたコレクションはどうする?
そんなもん、どうだっていい!また、集めろ!ベランダから飛び降りてでも逃げろ!それしかねえ!
ベランダから…?

無理だよ…結構高い。飛び降りても歩けないよ。うずくまってるうちに殺されちゃうよ。
情けねーやつだなー!なんか考えろよ!テメーの事だろうが。足を挫かずに窓のベランダから逃げ出す方法をよぉ!
落ち着いて考える。

例えば脚立のようなものやロープのようなものをあらかじめ用意しておく。

すると、間違いなく両親に何に使うのか問われる事になるだろう。
とすれば、今この部屋にあるものだけでなんとかしなければいけない。
ぐるっとあたりを見回し、何か使えそうなものが無いか考える。
すぐに、直感的にある方法を思いつく。
布団だ。

布団のカバー、タオルケット、毛布、敷き布団のカバーなどを素早くバラして結ぶと、一本のロープになる。
このロープをベランダに縛り付けて地上へと降りたら、逃げ出す道ができ、脱出可能となる。

そう考えてから僕は、今まで感じていた不安が嘘のように晴れやかになり、逆にこの状況の中、一つの素晴らしい答えにたどり着いた自分に、自信を持ち始めていた。
次の日からはトレーニングに明け暮れる毎日だった。
しかし、そのトレーニングは家族には知られてはいけなかった。
もし、それを知られると親父は間違いなく違う作戦で俺を殺しに来るからだ。
寝る前に、鉄アレイを闇雲に上下させたり、腕立てをしたり、スクワットをしたりととにかく体を鍛えた。

学校から帰る時などは親父が後ろから包丁を持って追いかけてくるという妄想をあえて行い、自分の中の恐怖心をMAXまで高めて、逃げるように走った。

その他、一人の時は布団を素早くバラし一本のロープ状にする訓練を行った。
一ヶ月も訓練をすると要領をつかみ、2分で布団をバラして一本のロープを作り出し、後は逃げるだけの状態にまでなっていた。
無事、家族の誰一人にもばれる事無く、俺はいつか来るかもしれない、「ピンチを克服する術」を、身につけていた。
2階で俺が密かに成長している下で、相変わらず両親は些細な事で喧嘩を始めて、暴力や怒声で静まるという日常を繰り返していた。
本当にこの作戦は上手くいくのだろうか?
そんな不安が頭をよぎった。
実際この作戦にかかる時間は3分前後。
そして問題は、布団の強度だ。
55Kgの人間がぶら下がった所で、おそらく破ける事はないであろう。
しかし、万が一という事もある。

実際親父に追いつめられている状況で布団を一定の強度で結ぶ事は困難であろう。
布団は破けなくても、結び目が解けてしまう事だってあるかもしれない。
そんな不安が頭にあった。
そんな不安をよそに俺は完全体な肉体へと変化を遂げていた。

それから数日後お盆が近づき、親父の口から、思いがけない朗報が飛び出た。

『俺達はお盆は実家に戻るから。三人で留守番していてくれ』
思わず心の中でガッツポーズをした。

両親が居なくなるという事は、試せるかもしれない!
俺がこの数日間訓練した成果。
それは決して家族に知られてはいけないのだ。
しかし、まだ、姉がいた。
姉にお盆のスケジュールを聞くと、なんと二人で一泊二日の旅行に行くというではないか!
渡りに船とはこの事。
その時点で
8月13日 午後 14:00
俺はこの日を俺の訓練を試す、エックスDAYとした。
8月11日
両親が里帰りをしに行った。

そして当日…
8月13日 午前 11:00
姉二人が一泊二日の旅行に行った。
俺はとうとう、一人になり今までの成果を試す絶好の環境が手に入った。
☆★☆★☆★☆★☆★
まず俺は一人でお昼ご飯を食べたが、緊張のあまりほとんど味がしなく、喉も通らなかった。
いつもと変わらない日常の中で、俺は自分の部屋にこもり、腕時計を装着して、目を閉じ、いつかくるかもしれない最悪の事態をシミュレーションしながら、訓練を試す2時を待った。

集中に次ぐ集中の結果俺の脳内は最高潮の状態となった。
一階では、また今日も親父と母の喧嘩が始まっている様子だった。
些細な事で言い争い、次第にエスカレートしている様子。
今日はいつもより声が大きく、ドタドタと動きつつ、お互いに叫びながら争っている。
母は大丈夫だろうか?なんかいつもと様子が違うな…
と思っていたら、
カチっ
ギャーーーーーーーーー!!

腕時計の秒針が2時を通過した。

一階からは、母の断末魔とも思えるような叫び声が聞こえた!
それと同時に親父の言葉とも叫びともつかないような、大きな声が家中に響いた!
『お前このやろー、ま¨ーーーーーーーーーーー!!あ¨ーーーーーーーー!!』
母の叫びと、親父の咆哮と同時に俺は飛び跳ねて、掛け布団と敷き布団のシーツをバラし、毛布とタオルケットを結び一本のロープを作る作業にとりかかる。

一ヶ月間の訓練のおかげもあり、手際は今までで一番良かった。
順調にロープ作りをしている時、親父が階段を上がってくる音が聞こえた。
みし…みし…みし…
親父が2階に来るという事は、母はもう…この世には居ないのだろう…。

この間、時間にすると一分。

階段を上がってくる音がする

ロープはまだ完成していない。

姉達の部屋のドアを開ける音がした。
ドンドンドンッ…ガチャガチャ

ギャアーーーーーー!

姉二人の叫び声が響き渡る。
ドガ バキッ いやだぁ!お父さん!ウギャーー! やめて! やめてって! いやーーーーー!
姉二人が一人ずつ殺されていくのがわかった。
いや、もしかしたらこの時点ではまだ生きているのかもしれない。
しかし俺は助ける事も出来ず、自分が逃げる事で精一杯なのだ…。
悲しみを抑えきれず俺は叫んだ。
『おねいちゃーん!!』

この時点で約2分間。
布団は、ほぼ簡易ロープへと変わっていた。
急いでベランダにロープを縛り付けて、地上へと投げ下ろす。

地上では愛犬ラッキーが首をかしげている。
みし…みし…みし…
姉の部屋から俺の部屋へ続く廊下を歩く、不吉な音が聞こえる。
母を殺し、姉二人を今殺してきた親父が、最後のターゲットが居るこの部屋へと辿り着こうとしている。
この時点で2分30秒
俺は地上にたどり着いているロープを腕の力だけでぶら下がり、ゆっくりと降りてゆく。
腕の力だけでは思っていたように動くのは難しかった。
まだ、この高さで飛び降りてはいけない。
間違いなく足を挫く高さだ。
そう思い、腕の力を込めて必死に少しずつでも地上へと降りていった。
中腹くらいまできた時、ぞくっ…という感覚がつむじのあたりを襲った。

恐る恐る頭上を見上げると、狂気と化した親父の顔があさっての方向を見ながら、ヨダレを垂らし

『何…やっている?何…やっている?何…やっているんだよう…』
と、半笑いでぼそぼそと言っていた。
その顔は狂気を無理矢理優しさで塗固めているような不自然な顔だった。
『掴まれ…そんなことしたら、危ないだろう…ははは…』
右手を後ろに隠し、血だらけの左手を差し出す。

決してその左手を掴んではいけない。
間違いなく右手には刃物を持っているから!
腕の力がだんだんと無くなってきている。
最後の力をふりしぼり、少しでも下へと移動する。
頭上では、

『はあ…掴まれ!ごらぁ!つかまれぇぇぇ!!!!』
地上では愛犬ラッキーが狂ったように吠えている。

普段あまり吠えるような犬ではなかった。
その時ふと思った。
もしかしたらラッキーには見えているのかもしれない。

親父が俺を襲う、いつか来るかもしれないその姿が…。
腕の力が限界になり、怪我をするかどうかギリギリの位置まで来た。
どうしようか迷った。

足を挫く事だけは避けなければならないので、俺は体操選手の着地を思い浮かべ、思い切り地上へと飛び降りた。

着地と同時に膝を曲げクッションを利用し、最小限の衝撃に抑えた後、少しずつ身体を伸ばし両腕をV字に突き上げ、

オリンピックの体操選手よろしく『十点…』と、つぶやいた。
こみ上げる満足感をよそに、腕時計の針を見ると2分43秒。

予定よりも17秒も早く逃げ出す事に成功した。
吠える愛犬ラッキーをなだめながら二階のベランダを見上げても、そこに親父の姿は無く、ただロープ状になった布団が垂れ下がっているだけだった。
それはそうだ。
親父は今、里帰りをしていて、この家には誰もいないのだから。
後片付けをして、満足感に浸りながら両親が帰ってくる残りの数日間をファミコンに費やし、お盆は終わった。

数日後、両親が帰ってきた。

俺は少しだけ親父に会い、お土産を無造作にほおばりながら、ほとんど会話もせずに友達の家に遊びに行った。
夕方頃家に帰ると、夕食の準備がされていて、自分以外の家族はみんな、それぞれの席に座っていた。

久しぶりの家族団らんに俺はおだってしまい、いつもより饒舌に他愛も無い事を話した。
俺のはしゃぎ具合を誰もが微笑ましく見守ってくれていたが、一人だけ複雑な表情をしている親父がいた。
俺が話疲れ、黙っていると沈黙になった。その沈黙の中、不意に親父がぼそりとつぶやいた。
『お前、レンジャー部隊やってたんだってな…?森田さんに聞いたぞ…。』

いきなりの事で、何を言っているのかわからなかった。
『レンジャー部隊?なにそれ』
『窓からロープで降りてきたやつ。森田さんが全部見てたらしい。』
『…』
『危ないしよー、恥ずかしいからやめてくれや…なぁ。』
頭の中に様々な複雑な感情が沸き上がり、自分の心と身体の統制がとれなくなってしまった。
気がつくと俺は引きつった顔で、ニタニタしていた。

恥ずかしいやら、悔しいやらで、笑ってごまかすほか出来なかったのだ。
そう、全ては向かいの住人、森田さんに見られていたのだ。

俺がベランダに立ち、簡易ロープを地上へと投げ下ろし、自分の中の妄想の気の狂った親父に追いつめられて恐怖し、腕の力だけで二階から地上へと降りてきつつ、最後にはきれいに飛び降りて両手をVの字に突き上げ、
『十点…』とつぶやいた一部始終を、森田さんは見ていたのだ。
畜生!見られていた!そして親父にまで報告されたっ!恥ずかしい!畜生!畜生っ!
親父の顔を恐る恐る見ると、怒った方がいいのか、なだめた方がいいのか解らない、今まで見た事の無い初めて見る、哀愁のある顔をしていた。
何の事は無い。
つまり、気が狂っていたのは俺の方だったのだ…

次の日、出かけようと玄関を出るとバツの悪い事に森田さんがいた。

『おはようございます…』
『おはよう。レンジャー部隊どうだった?』
森田さんはニタニタしながら近づいてきた。
逃げ出したい気持ちを抑えつつ俺は答えた。
『はぁ…。まあ、順調にいきました…』
(レンジャー部隊!貴様が名付けたんだな!)
『駄目だよ。危ない事しちゃぁ…』
顔を斜めに近づけながら、忠告をしてきた。

『ああ…はい…。』
(うるせーよっ!畜生っ!)


★☆★☆★☆★☆★
もう十七年も前の馬鹿話である。

あれはもう15、6年前のことである。
当時自分はエアーガンや骨董品、ファミコンやエヴァンゲリオンという、統一性の有るような、無いようなものにハマっていました。

いつか大きくなったら、自分のやりたい職業につき、趣味が高じて一儲けし、かわいい嫁さんと子供数人に囲まれて、百歳まで生きる、不幸とはほど遠い世界にいるんだろうと、信じて疑っていませんでした。
そんな自分の妄想とは裏腹に、現実の家庭環境は、笑いの絶えなかった家庭から、殺伐としたバイオレンスな家庭環境に少しずつ崩れ始めていたのでした。

両親の仲は、子供から見ても不仲と分かるほど悪く、一週間に2・3回は怒鳴り合いの喧嘩をしていました。
子供だったので、何が原因でそんなに争っているのか、全くわからなかったのですが、いつも親父が怒り狂い大きな声を出し、母が泣くというパターンだったのを覚えています。
そんな状態だったので、家族全員が親父に対して常に何かされるのではないだろうか…?という不安に襲われていました。

自分はといえば、部屋にこもりがちになるようになっていました。
漫画を読んだり、ファミコンをやったりしていても、聞こえてくるのは両親の怒鳴り合い。
とても趣味に没頭するような余裕はありませんでした。
しかし、ある時親父が母に怒鳴るのではなく、手を出した事がありました。
その時のショックはかなり大きなものがあり、その後の親父への印象は最悪なものとなりました。

そんなある日、自分は一人、部屋である恐ろしい妄想をしていました。
親父の暴力がエスカレートし、最高潮に達して、母を殺してしまったらどうしよう?
それは、無い話では無かったのです。
事実、そんなニュースを最近ではよくテレビで見かけるし、親父と母の喧嘩は日に日にエスカレートし、もしかしたら…と、思えたからです。
親父の性格上、母を殺したら見境がなくなり、間違いなく次は俺たち兄弟を殺しにくるだろうと、思えました。
妄想が現実になるかもしれない恐怖を抱き、自分の身の危険を考えるまでは、一瞬でした。
そう考えるといてもたってもいられなくなり、落ち着いた気持ちで眠る事が出来なくなってしまいました。

僕は自分を落ち着かせるため、頭の中でシュミレーションをし、冷静な自分と情熱的な自分を作り出し、対話形式でこの絶望を回避しようとしました。

親父が一階で母を殺して二階に上がってきたら、どうしよう…
どうしようじゃあ、ねえ!逃げるか戦うか!ぼんやりしてたら、ぶっ殺されちまうぞ!
俺は、戦う。

戦えるだろうか?オリジナルの武器を持った俺と刃物を振り回す親父。

駄目だ!どんな手を使ったって勝てる気がしない!

じゃあ逃げろよ!
逃げたいけど、階段から来るんだから、逃げ道なんかないよ。それに今まで集めたコレクションはどうする?
そんなもん、どうだっていい!また、集めろ!ベランダから飛び降りてでも逃げろ!それしかねえ!
ベランダから…?

無理だよ…結構高い。飛び降りても歩けないよ。うずくまってるうちに殺されちゃうよ。
情けねーやつだなー!なんか考えろよ!テメーの事だろうが。足を挫かずに窓のベランダから逃げ出す方法をよぉ!
落ち着いて考える。

例えば脚立のようなものやロープのようなものをあらかじめ用意しておく。

すると、間違いなく両親に何に使うのか問われる事になるだろう。
とすれば、今この部屋にあるものだけでなんとかしなければいけない。
ぐるっとあたりを見回し、何か使えそうなものが無いか考える。
すぐに、直感的にある方法を思いつく。
布団だ。

布団のカバー、タオルケット、毛布、敷き布団のカバーなどを素早くバラして結ぶと、一本のロープになる。
このロープをベランダに縛り付けて地上へと降りたら、逃げ出す道ができ、脱出可能となる。

そう考えてから僕は、今まで感じていた不安が嘘のように晴れやかになり、逆にこの状況の中、一つの素晴らしい答えにたどり着いた自分に、自信を持ち始めていた。
次の日からはトレーニングに明け暮れる毎日だった。
しかし、そのトレーニングは家族には知られてはいけなかった。
もし、それを知られると親父は間違いなく違う作戦で俺を殺しに来るからだ。
寝る前に、鉄アレイを闇雲に上下させたり、腕立てをしたり、スクワットをしたりととにかく体を鍛えた。

学校から帰る時などは親父が後ろから包丁を持って追いかけてくるという妄想をあえて行い、自分の中の恐怖心をMAXまで高めて、逃げるように走った。

その他、一人の時は布団を素早くバラし一本のロープ状にする訓練を行った。
一ヶ月も訓練をすると要領をつかみ、2分で布団をバラして一本のロープを作り出し、後は逃げるだけの状態にまでなっていた。
無事、家族の誰一人にもばれる事無く、俺はいつか来るかもしれない、「ピンチを克服する術」を、身につけていた。
2階で俺が密かに成長している下で、相変わらず両親は些細な事で喧嘩を始めて、暴力や怒声で静まるという日常を繰り返していた。
本当にこの作戦は上手くいくのだろうか?
そんな不安が頭をよぎった。
実際この作戦にかかる時間は3分前後。
そして問題は、布団の強度だ。
55Kgの人間がぶら下がった所で、おそらく破ける事はないであろう。
しかし、万が一という事もある。

実際親父に追いつめられている状況で布団を一定の強度で結ぶ事は困難であろう。
布団は破けなくても、結び目が解けてしまう事だってあるかもしれない。
そんな不安が頭にあった。
そんな不安をよそに俺は完全体な肉体へと変化を遂げていた。

それから数日後お盆が近づき、親父の口から、思いがけない朗報が飛び出た。

『俺達はお盆は実家に戻るから。三人で留守番していてくれ』
思わず心の中でガッツポーズをした。

両親が居なくなるという事は、試せるかもしれない!
俺がこの数日間訓練した成果。
それは決して家族に知られてはいけないのだ。
しかし、まだ、姉がいた。
姉にお盆のスケジュールを聞くと、なんと二人で一泊二日の旅行に行くというではないか!
渡りに船とはこの事。
その時点で
8月13日 午後 14:00
俺はこの日を俺の訓練を試す、エックスDAYとした。
8月11日
両親が里帰りをしに行った。

そして当日…
8月13日 午前 11:00
姉二人が一泊二日の旅行に行った。
俺はとうとう、一人になり今までの成果を試す絶好の環境が手に入った。
☆★☆★☆★☆★☆★
まず俺は一人でお昼ご飯を食べたが、緊張のあまりほとんど味がしなく、喉も通らなかった。
いつもと変わらない日常の中で、俺は自分の部屋にこもり、腕時計を装着して、目を閉じ、いつかくるかもしれない最悪の事態をシミュレーションしながら、訓練を試す2時を待った。

集中に次ぐ集中の結果俺の脳内は最高潮の状態となった。
一階では、また今日も親父と母の喧嘩が始まっている様子だった。
些細な事で言い争い、次第にエスカレートしている様子。
今日はいつもより声が大きく、ドタドタと動きつつ、お互いに叫びながら争っている。
母は大丈夫だろうか?なんかいつもと様子が違うな…
と思っていたら、
カチっ
ギャーーーーーーーーー!!

腕時計の秒針が2時を通過した。

一階からは、母の断末魔とも思えるような叫び声が聞こえた!
それと同時に親父の言葉とも叫びともつかないような、大きな声が家中に響いた!
『お前このやろー、ま¨ーーーーーーーーーーー!!あ¨ーーーーーーーー!!』
母の叫びと、親父の咆哮と同時に俺は飛び跳ねて、掛け布団と敷き布団のシーツをバラし、毛布とタオルケットを結び一本のロープを作る作業にとりかかる。

一ヶ月間の訓練のおかげもあり、手際は今までで一番良かった。
順調にロープ作りをしている時、親父が階段を上がってくる音が聞こえた。
みし…みし…みし…
親父が2階に来るという事は、母はもう…この世には居ないのだろう…。

この間、時間にすると一分。

階段を上がってくる音がする

ロープはまだ完成していない。

姉達の部屋のドアを開ける音がした。
ドンドンドンッ…ガチャガチャ

ギャアーーーーーー!

姉二人の叫び声が響き渡る。
ドガ バキッ いやだぁ!お父さん!ウギャーー! やめて! やめてって! いやーーーーー!
姉二人が一人ずつ殺されていくのがわかった。
いや、もしかしたらこの時点ではまだ生きているのかもしれない。
しかし俺は助ける事も出来ず、自分が逃げる事で精一杯なのだ…。
悲しみを抑えきれず俺は叫んだ。
『おねいちゃーん!!』

この時点で約2分間。
布団は、ほぼ簡易ロープへと変わっていた。
急いでベランダにロープを縛り付けて、地上へと投げ下ろす。

地上では愛犬ラッキーが首をかしげている。
みし…みし…みし…
姉の部屋から俺の部屋へ続く廊下を歩く、不吉な音が聞こえる。
母を殺し、姉二人を今殺してきた親父が、最後のターゲットが居るこの部屋へと辿り着こうとしている。
この時点で2分30秒
俺は地上にたどり着いているロープを腕の力だけでぶら下がり、ゆっくりと降りてゆく。
腕の力だけでは思っていたように動くのは難しかった。
まだ、この高さで飛び降りてはいけない。
間違いなく足を挫く高さだ。
そう思い、腕の力を込めて必死に少しずつでも地上へと降りていった。
中腹くらいまできた時、ぞくっ…という感覚がつむじのあたりを襲った。

恐る恐る頭上を見上げると、狂気と化した親父の顔があさっての方向を見ながら、ヨダレを垂らし

『何…やっている?何…やっている?何…やっているんだよう…』
と、半笑いでぼそぼそと言っていた。
その顔は狂気を無理矢理優しさで塗固めているような不自然な顔だった。
『掴まれ…そんなことしたら、危ないだろう…ははは…』
右手を後ろに隠し、血だらけの左手を差し出す。

決してその左手を掴んではいけない。
間違いなく右手には刃物を持っているから!
腕の力がだんだんと無くなってきている。
最後の力をふりしぼり、少しでも下へと移動する。
頭上では、

『はあ…掴まれ!ごらぁ!つかまれぇぇぇ!!!!』
地上では愛犬ラッキーが狂ったように吠えている。

普段あまり吠えるような犬ではなかった。
その時ふと思った。
もしかしたらラッキーには見えているのかもしれない。

親父が俺を襲う、いつか来るかもしれないその姿が…。
腕の力が限界になり、怪我をするかどうかギリギリの位置まで来た。
どうしようか迷った。

足を挫く事だけは避けなければならないので、俺は体操選手の着地を思い浮かべ、思い切り地上へと飛び降りた。

着地と同時に膝を曲げクッションを利用し、最小限の衝撃に抑えた後、少しずつ身体を伸ばし両腕をV字に突き上げ、

オリンピックの体操選手よろしく『十点…』と、つぶやいた。
こみ上げる満足感をよそに、腕時計の針を見ると2分43秒。

予定よりも17秒も早く逃げ出す事に成功した。
吠える愛犬ラッキーをなだめながら二階のベランダを見上げても、そこに親父の姿は無く、ただロープ状になった布団が垂れ下がっているだけだった。
それはそうだ。
親父は今、里帰りをしていて、この家には誰もいないのだから。
後片付けをして、満足感に浸りながら両親が帰ってくる残りの数日間をファミコンに費やし、お盆は終わった。

数日後、両親が帰ってきた。

俺は少しだけ親父に会い、お土産を無造作にほおばりながら、ほとんど会話もせずに友達の家に遊びに行った。
夕方頃家に帰ると、夕食の準備がされていて、自分以外の家族はみんな、それぞれの席に座っていた。

久しぶりの家族団らんに俺はおだってしまい、いつもより饒舌に他愛も無い事を話した。
俺のはしゃぎ具合を誰もが微笑ましく見守ってくれていたが、一人だけ複雑な表情をしている親父がいた。
俺が話疲れ、黙っていると沈黙になった。その沈黙の中、不意に親父がぼそりとつぶやいた。
『お前、レンジャー部隊やってたんだってな…?森田さんに聞いたぞ…。』

いきなりの事で、何を言っているのかわからなかった。
『レンジャー部隊?なにそれ』
『窓からロープで降りてきたやつ。森田さんが全部見てたらしい。』
『…』
『危ないしよー、恥ずかしいからやめてくれや…なぁ。』
頭の中に様々な複雑な感情が沸き上がり、自分の心と身体の統制がとれなくなってしまった。
気がつくと俺は引きつった顔で、ニタニタしていた。

恥ずかしいやら、悔しいやらで、笑ってごまかすほか出来なかったのだ。
そう、全ては向かいの住人、森田さんに見られていたのだ。

俺がベランダに立ち、簡易ロープを地上へと投げ下ろし、自分の中の妄想の気の狂った親父に追いつめられて恐怖し、腕の力だけで二階から地上へと降りてきつつ、最後にはきれいに飛び降りて両手をVの字に突き上げ、
『十点…』とつぶやいた一部始終を、森田さんは見ていたのだ。
畜生!見られていた!そして親父にまで報告されたっ!恥ずかしい!畜生!畜生っ!
親父の顔を恐る恐る見ると、怒った方がいいのか、なだめた方がいいのか解らない、今まで見た事の無い初めて見る、哀愁のある顔をしていた。
何の事は無い。
つまり、気が狂っていたのは俺の方だったのだ…

次の日、出かけようと玄関を出るとバツの悪い事に森田さんがいた。

『おはようございます…』
『おはよう。レンジャー部隊どうだった?』
森田さんはニタニタしながら近づいてきた。
逃げ出したい気持ちを抑えつつ俺は答えた。
『はぁ…。まあ、順調にいきました…』
(レンジャー部隊!貴様が名付けたんだな!)
『駄目だよ。危ない事しちゃぁ…』
顔を斜めに近づけながら、忠告をしてきた。

『ああ…はい…。』
(うるせーよっ!畜生っ!)


★☆★☆★☆★☆★
もう十七年も前の馬鹿話である。