こんにちは。
今日は、「非主張型ではなく、落ち着いて、思っていること考えていることは穏やかに表現しよう!」というお話です。
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以前から耳にして気になっていた、「アサーション」について学ぼうと、いま、こちらの本をゆっくり読んでいます。
この中で、人を3つのタイプに分けると、
非主張型
主張型
アサーティブ型
に分けられると。私は 非主張型 にあてはまりました。
非主張型は、自分の感情や考えを表に出せないくせに、「察してほしい」と思う傾向がある、と。
勝手に期待して、勝手にがっかりして、勝手に怒ってしまう傾向がある、にうんうんとうなづきました。
どんなに親しい間柄でも、表現しなければ伝わらない。私はそれを学んでいく必要があります。
ベースにある、自分の意見は言ってはいけないのではないか。
他人と衝突してはいけないのではないか。は間違っている。
人は誰も、「アサーション権」があり、(相手がそれを聞き入れるかどうかに関係なく、)(なんでもかんでも伝えていいわけでもなく、)(伝え方にも節度があることも踏まえたうえで、)人は誰でも自分の意見や感情を表していいのだ、ということです。
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今日、この記事を書いたのには理由があり、実はまさしくそれに関するような出来事があったからです。
とある求人に応募しているのですが、履歴書を送付してから、何もリアクションがないまま数週間がたっていました。
当初、選考には時間がかかると聞いていたので、そのせいかもしれない、と、
何もリアクションがないことも含めてじっと耐えて待っていましたが、そろそろ連絡しても良いだろうとコンタクトをとったところ、
担当の方と私の間で行き違いがあったことが発覚しました。
実は、私が思ったようには進んでいませんでした。
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確認のメールをするまでは、もやもやしたり、イライラしたり、身勝手な考えを巡らせて落ち着きを失っていました。
自分の落ち度は考えられず、でも、ここはまずは落ち着いて状況確認をしなければ、と、つとめて平静な確認メールを送りました。
お返事はすぐに来て、お互いのすれ違いが発覚しました。
ああ、こうして、何度も勉強するのだな、と思いました。
現実におこる事象は、実はどんなことも関係がなくて、そこから私が学ばなければいけないことのために、なんでも起きているように感じます。
たとえ今回の求人が、最終的にどうなっても、それ自体には大きな意味はないのだろうな、と思えるほど、今回の「行き違いがあったのに数週間も気づかないまま、一人でヤキモキしていた」ということの方が、
私にとっては大きな意味がありました。
ではまた~。