しばらくネットのできない環境に行きます。
うまくいけば携帯でアップします。
次は久しぶりに”城”ネタを書けるかもしれません。
閉鎖ではないので、また31日に覗いてみて下さい。
ではでは。
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ではでは。
オーストラリア滞在の1年間お世話になった車。
前任の派遣教員から90万円で引き継いだもの。
考えてみたら高いよね~。
韓国ヒュンダイ(現代)社製。
その綴りから「ハイユンダイ」的な発音をするオーストラリア人もいる。
日本ではあまり見かけないが、オーストラリアではかなりポピュラー。
記憶に間違いがなければ、エンジンは三菱製だったような・・・。
1500ccのExcelはちょうどミラージュ的な車である。
また、初めてのオートマ。オートマってこんなに楽なんだと思った。
当時(10年前)には日本では珍しい、アラーム装着車(オーストラリアでは当たり前)で、
扱いに慣れず、しょっちゅう”ピーピー”鳴らしてたっけ。
はじめて走ったのはシドニーのハーバーブリッジ。
この車を預かっていてくれた人の家が、シドニーのノースにあったからです。
この車ではいろんな所に行きました。
北はハンターバレーまで。ワインで有名なところです。
南はウーロンゴン(Wollongong)まで。
知らない土地で先導してくれるのはいつも、V6 3000ccクラスの大型車。
ついていくのは必死でした。
アクセルが床に付くまで、めいっぱい踏んで、ようやくトロトロ加速。
オーストラリアって意外と起伏が激しいから大変なんだよね。
結局1年間で約1万キロ走行。
そうそう、オーストラリアは日本と同じように左側通行なので、
運転は楽でしたよ。
私が最後の交換教員だったので、
次の人に引き継ぐこともできず、地元の中古屋で売ってきました。
この”売る”という作業は結構大変で、売値は約45万円。
買値の半額ですね。
昨日のA先生を送る会は大成功!
全部で30名近く集まったかな?
これもA先生の人徳、
そしてTさんの71ものメール送信のおかげです。
A先生の目に一瞬キラッとするものがあったような・・・
A先生が嬉しそうだったので本当によかった
γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ
おはようございます。
学校に入るときには、ぐるっと回って
グランド側から入って下さい。
事務の方に一声かけて下さいね。
2階の会議室を開けます。
そこに集合という形にしたいと思います。
1階事務室前より、部屋の方が落ち着くと思うので。
では、9時20分に。
とにかく惚れて惚れて惚れ抜いて手に入れた4WD。
「ぱじぇ郎」と呼んで、家族のようにかわいがった車だ。
当時は爆発的な四駆ブームで、どこを見てもこんな車が走っていた。
5速マニュアルのディーゼル車。(男はやっぱりMTだっ!)
エンジン音がうるさいのでまるで戦車のようだった。
フロントにはグリルとイエローフォグランプを付けていた。
冬場になると背面キャリアを付けて、よくスキーにも行った。
あの頃は通勤でも使っていた。
今では考えられないが、しょっちゅう家庭訪問に行き、
帰宅が遅くなった先生や生徒たちを最寄り駅まで送り届けたりした。
教頭(今は副校長)に頼まれて、他の学校まで乗せていったこともある。
公私ともに思い出のたくさん詰まった車だった。
しかし、当時の三菱のリコール隠しの元凶となった車でもあり、
修理修理の連続だった。
最後はラジエータに穴が開き、道路上で危うく止まりかけたこともあった。
なかなか手放す気になれず、オーストラリア滞在中の1年間、
静かに私の帰りを待っていてくれた。
さすがに、手を加えて乗るわけにも行かず、
車購入に合わせて、下取りに出すことになった。
1990年から1999年の9年間で10万キロ近く走った。
イーグルスのHotel Californiaの中に、
"We haven't had that spirit here since 1969."という歌詞がある。
「1969年以来、ここにはそんな気力(酒)はない」
というのだが、私にとってこのパジェロは
"I haven't had that spirit since 1999."と言いたい存在である。
パジェロを手放したとき、
ちょっと遅い青春が終わったような気がした。