例えば、「金ではない生き方」を追求してしまう人と言うのが居ます。
これは国内では伝統的に「悟り」を得る為の思想に実は概ね回収されるしかないのではないかと思っていますが・・・。
そう言う生き方と言うのは内実を見ると、概ね我欲と切れる事を志向していたり、
「清い」要素を持っていることもあります。
何故そう言う考え方は広まらないのでしょうか?

実は、「悟り」系の考え方に近づけば近づくほど
反権威だから
です。
仮に人類の大多数が「悟り」を得て、一切の欲望から解放されてしまうとしましょう。
政治家は要らない。戦争も基本的になくなるから戦略原潜も軍事産業全般も必要ない。
最終的に「軍隊による暴力」を前提とする法律の支配すら必要なくなるかもしれません。
反省的になった人間同士の会話がかなりの解決を生むだろうから・・・。
ただし、それで何か困る事があるだろうか?
そのままでは一部の3K労働が決定的に行き詰るのもそうですが、権力を失う人もたくさん出るのです。
政治家は要らない。戦略原潜も軍事産業全般も必要ない。
そう言う世界で誰が権勢を振るえると言うんでしょうか?
当然想定されるのが数多くの「利益」に関係する多くの職業人のレイオフ。失職です。
最高の反権威とは人生を悟っている人なのです。
#1 どのような点で「金ではない」のか?
これも人によって色々考え方が違うでしょうね。。
僕は自分の感覚が本来西洋の基督新教の一部に近いのではないか? と思う事があります。