自分の中の価値について考える 2 | 論理性を人類に役立てるべくマーケティング的・認知科学的に活動していくブログ

論理性を人類に役立てるべくマーケティング的・認知科学的に活動していくブログ

2015年、紆余曲折あって田舎(青森)に仕事付きで帰ることになりましたが、現在は細々と認知科学関係の書籍などを読みつつ未来に備えています。
内容はマーケティング、認知科学、ゲーム、一部政治家についてなど多岐に渡る。


 そもそも、浮世における価値とはなんでしょうか。考えてみた事はあるでしょうか。

 学生の事の自分は「特別な人とお近づきになるには?」と言うようなことばかり考えていましたが、最近は「そもそも求められる『特別さ』って何なの?どう言う要件なの?」と言う方向に考えが走っていくようになりました。

 時代の特別さと言うのはナシーム・タレブも言っていますが、うつろいやすいものでもあるのです。例えば戦国時代にも「この人ありと言われた名船頭」「普請が課された時には大名に必ず使われる名棟梁」と言う各業界ごとの存在が居た筈ですが、現代で彼らの名声と言うのは何処に行ってしまったのでしょう?
 また、そこまで遡らずとも10年、30年前にPOPや宣伝で華々しく紹介されたゲームタイトルや作家で、未だ名前を聞くのがいくつあることでしょう。。

 私が考えるのに、かなり時代を通して尊重される人物の特徴として2つあります。

・時代に応じた道具を用いて、新たなゲシュタルト(社会的結合の状態)を発見した。
 発明家やマーケッターがここに入ります。
・自分の得意な技術を徹底的に磨き、当代の他の人間ではあり得ないパフォーマンスを達成した。
 名臣・名将だったり、政治家はここに入ります。

 どちらをとっても必要なのは修業と継続です。所属文化が古いほど何かを発見するのは難しくなりますから、その期間が長くなっていきます。

■浮世での「価値」を諦めより高い見地に到達する

 ここまで考えたからには、世間で扱われる所の移ろいやすい価値に付き合う事に疑問を呈しても違和感はないのではないでしょうか?現世の価値に付き合っていると他の時代で尊重されていた価値をないがしろにすることにもつながります。その結果、自分が本当にやりたい事が見いだせなくなる危険もあるのです。

 仕事でも経験上、単に相手の欲求に集中した方が上手く行く事が多いです。

 多様な価値を高い見地に立って見降ろし、尊重する社会に少しでもしていきましょう。