なぜ謝れないの?根本的な理由
「どうして謝ってくれないの?」
「私が泣いても、傷ついても」
なぜ、“ごめん”の一言が言えないの?」
これは、私が長年苦しんできた疑問です。
何度も話し合いを試みて、
何度も「私の気持ちをわかってほしい」と伝えてきました。
でも返ってくるのは、
「お前が悪い」「それはお前のせいだ」「
と、責任転嫁、否定、逆ギレ、あるいは無視。
いったい、なぜモラハラと言われる人は謝ることができないのでしょうか?
モラハラ加害者は「謝る=負け」と思っている
彼らの心の中には、強烈な勝ち負けの構図があります。
話し合いも、夫婦関係も、本来は「共に歩むもの」なのに、
彼らにとっては主導権争いの場でしかありません。
謝るということは、
=「自分が悪かった」と認めること
=「あなたが正しかった」と認めること
=「自分が劣っている」と思い知らされること
つまり、謝ることで自分の“優位性”
謝ると「自我が崩壊する」
この構造は、心理学者ユングのいう「自我の崩壊」
モラハラ加害者の多くは、
・自分は優れている
・自分は正しい
・自分は被害者だ
という“偽りの自己像”を心の支えにしています。
でも、もし謝ってしまえば、
「自分は加害者だったかもしれない」
「本当は相手を傷つけていたかもしれない」
という事実と向き合わなければならなくなる。
その瞬間、自分のアイデンティティが崩れそうになるのです。
彼らにとってそれは、死ぬほど怖いことなのです。
私は長いあいだ、ずっと疑問でした。
「どうしてここまでして、自分の非を認められないのだろう?」
きっと、この記事を読んでくださっている方の中にも、
同じように感じている方が多いのではないでしょうか。
モラハラの根底にあるのは、「自分が間違っていた」
では、もし彼らが本当に「自分が悪かった」
“自我の崩壊”とは、実際にどのような状態を指すのでしょうか?
たとえばこんなふうになります
-
自分のこれまでの人生観が一瞬で崩れ、パニックになる
-
自分が“加害者”であったと気づいた瞬間に、
激しい自己嫌悪や恐怖に襲われる -
「自分には価値がない」「すべてが終わった」と感じて、
無気力やうつ状態になる -
相手(被害者)を憎むことで、
自分の崩壊から目を逸らそうとする(さらに攻撃的になることも)
モラハラ加害者の多くは、自分の中にある「無価値感」や「
向き合うことを極端に恐れます。
だからこそ、「悪いのは自分じゃない、相手だ」
なんとか“自分の存在”を保とうとするのです。
謝ると「あなたに支配される」と感じる
ある日、私は夫に言いました。
「私は謝ってほしいだけ。責めたいわけじゃない。
ただ、自分がしたことを“悪かった”と認めてほしいだけ。」
でも彼の反応はこうでした。
「は!お前自分の言っていることわかってる?
俺は毎日一生懸命働いてる。その気持ちお前にわかるか?
朝早くから仕事に言ってるんだ。俺は絶対変わる気はない」
話しはいつもすり替えられて、まるで宇宙人が目の前にいるみたいでした。
つまり彼にとって謝罪とは、
「支配されること」「立場が逆転すること」のように感じられていたのです。
「俺は絶対変わる気はない」という言葉が
「対等な関係を受け入れられない心理」「自分が支配する側でいたいという執着」です。
「謝れない人」は、弱さを隠して生きている
本当は、彼らの中にも傷ついた心があります。
否定されてきた子ども時代、認めてもらえなかった経験があるのでしょう
そして、自分を愛せない苦しみ…。
でもそれを認めるのは怖い。
だからこそ、「自分は悪くない」という盾を持ち続けて、
妻を責めて自分を守っているのです。
それでも「謝らせようとする」ことが苦しみになる
私はずっと、「謝ってくれたら変われるのに」と思っていました。
でもある時、こう気づいたのです。
「謝らない人」に謝らせようとするたび、私はまた傷つく。
それはまるで、心に塩を塗りこむようなことだった。
謝罪を望むことは悪くありません。
でも、それが無理な相手もいるということを受け入れたとき、
私はようやく、自分を責めるのをやめられました。
モラハラ加害者は、謝る=負け、支配される、
それゆえ、どんなに明らかな非があっても、絶対に謝れない
それはあなたの価値ではなく、相手の「未熟さ」や「恐れ」の問題
謝罪を無理に求めることで、あなたが再び傷つくこともある
あなたへ
あなたは、ちゃんと「おかしい」と思っている。
ちゃんと「傷ついた」と感じている。
その感覚こそが、あなたの中にある「真実」です。
誰かが認めてくれなくても、
謝れない相手に、あなたの心を握らせないでください。



