罪悪感を持たない人
子どもたちの運動会が近づいてきたある日。
上の子が小学校に上がったばかりで、私はまだ赤ちゃんを抱えて毎日必死に
子育てをしていました。
そんな時、大切にしていたカメラが見当たらないことに気づいたのです。
夫に尋ねると、「牧野くんに貸した」と言う返事。
「そろそろ運動会も近いから返してもらって」と頼むと、
「わかった」と言うものの、いつまで経ってもカメラは戻ってこない。
何度も聞いても煮え切らない態度の夫に、私はついに
「私が直接、牧野さんに電話するよ」と言いました。
すると、夫の口から出た言葉は
「質屋に入れたんだ」。
頭が真っ白になりました。
それでも私は責めるよりも、どうにかして運動会に間に合わせたい一心で
お金を夫に渡しました。
「これで取り戻してきて」
赤ちゃんを連れて外に出る余裕もない私にできる、せめてもの手段でした。
でも、夜遅く帰ってきた夫が放った言葉は、信じられないものでした。
「パチンコで負けた」。
怒る気力もなく、呆れて、ただただ虚しかった。
けれど私は…それでも信じたかった。
家庭を壊したくなかった。
この人もどこかで悩んでいるのかもしれない。
そんな風に思って、もう一度、3万2千円を手渡し、
「今度こそちゃんとお願い、どうか子どもたちのために」と何度も言い聞かせました。
けれどまた連絡が取れない。
当時は今のように携帯電話もなく、私は質屋に連絡を取ったり、片っ端からパチンコ屋に電話をかけたり、手の震える想いで夫を探しました。
そして深夜、夫はようやくカメラを持って帰ってきました。
「危なかった。もう少しでやられそうになった。ギリギリで取り戻せたんだ」
そんな言葉を聞きながら、私は呆れると言うよりも
「この人は父親の自覚が欠如していると」感じたのです。
でも、何を言っても話にならない。何か言ったら暴言が降りかかってくる。
怒りを飲み込み、戻ってきたカメラに少し安堵しながら、
目の前の子育てに戻るしかなかったのです。
でも、今だからわかるのです。
きっとその頃には、もう夫の心には別の女性がいた。
私の中にあった違和感も、うまく言葉にできない不安も、そのためだったのだと――今ならはっきり分かります。
それでも私は、あの時「信じたかった」。
夫の中にまだ人間としての優しさがあることを、心の奥でまだ信じたかった。
子どもたちに「お父さんがいる家庭」を守りたかった。
彼にも、良いところがなかったわけではありません。
一緒に笑った日もあったし、子どもたちを抱っこしていた姿も覚えています。
でも、その「良さ」が、だんだん見えなくなっていく日々の中で、私はずっと一人で戦っていたのかもしれません。
あの頃の私に、ただ伝えたい。
あなたはよく頑張ったよ、と。
どれほど孤独で、どれほど悔しかったか。
でも、それでも愛そうとしたあなたは、強くてやさしいお母さんだったよ、と。
