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三光作戦とはなんでしょうか?

これは日本軍が行った作戦の中国の呼び名。「光」には

「すっかり無くす」と言う意味がある。三光とは、殺し焼き

略奪しつくすこと。


元日本兵の稲葉さん(89歳)はこれまで語らなかった自ら

の戦争体験を語ってます。中国への侵略そして日本降伏後

4年近くも戦争をさせられた悲惨な体験です。


「過去の戦争を反省できない政治家の言動を見ていて

  いま戦争の真実を語らなければ・・・・」

死んでも死にきれないのです。あの体験を語れるのは私を

含めて、もう一人しか、2人しかいません。戦争の真実と

私達の無念を世代に引き継いでもらう事が望みです。私は

20歳で招集され、中国の戦場に送られました。戦争が終わ

ったのは2年後でした。帰国の日を待ち望みました。しかし

私に下された命令は「部隊の3分の1中国に残す。2年後

には再び日本軍が戻って来る。残ってその基礎を作るのだ

お前達は一番若い将校だから残れ」頭の中が真っ白になり

ました。何故こんな命令が・・・

日本軍の幹部は中国の国民党と取引したのです。

残留日本兵の存在はポツタム宣言が定められた「日本軍の

武装解除」に違反します。絶対に知られてはならない機密

でした。国民党が破れ、私は共産党に捕まり、戦犯管理所

送られました。

そこでは、朝から晩まで正座して、自分が戦争中に犯した

罪を思いだし文章にする事を求められました。

戦争は人を鬼にします。

私は進軍する農村を襲撃し、家畜や食料を奪い尽くし逃げた

住民が戻っても二度と住めないように住居を破壊しました。

日本軍の三光作戦で殺された人骨の山を見た時も何も感じ

ませんでした。

日本から来たばかりの初年兵の訓練を見学した事があります

掘った穴の前に並べられた中国人捕虜を銃剣で刺し殺す

訓練です。さらに遺体の首をわらを切る時に使う‘押し切り‘

で切り落とし、城門に並べてみせしめました。こうして人を殺

しても何も感じない兵士が作られていったのです。

自分がした事を認識すればするほど恐ろしく、苦しみに苦しみ

抜きました。

帰国できたのは終戦から11年後の1956年です。しかし

国は私達を歓迎しませんでした「現地除隊した逃亡兵」という

扱いです。私達は軍人恩給も支給されません。何度も国に

「軍の命令で残った」と訴えましたが認められません。

民主党政権時代に国会請願に行った時、こう言われました。

「この問題を認めたら国際的に大問題になる。一度決められ

た事は変えられない。」

今、再び軍国主義の復活の兆しを感じます。憲法9条改悪に

執念を燃やす安部首相は、歴史認識どころか戦争そのもの

を認識できていないのではないか。

戦争は人類最大の罪悪です。どんな大義もありません。

若者に言いたい。私達のように国に騙されてはいけない。