デジャブ・・フランス語で 既に(deja)見た(vu)こと・・いわゆる『既視体験』のことです。


前にこの場面を絶対どこかで見たことがある、体験したことがある・・と、思ったことはありませんか?私は妄想なのか、たまにあります。

夢だったのか、現実に体験したのか・・はじめて海外に行ったとき、どの人ともはじめて会う人だったのに、

窓際にあったカップも、その色も以前に絶対どこかでみたことのある風景でした。子供心に、


「戻ってきた」・・・



と感じたことを覚えています。たとえば、『マーフィの法則』で謳われているような、夢はかなうと、か思ったことは現実になる・・と、いったようなことは、私にとっては、

強く思ったから、かなった・・というより、



「そうなる予定だった」・・という感覚でとらえてきました。


昨日、まったくそういう体験をしました。前にこういう時間を過ごしたことがある、と思える時間が積み重なったんです。


心の中で描いていた映像を、とても優秀な監督が指揮して撮影して制作した映画のように、描いていたとおりの時間が過ぎていきました。


私は7,8年くらい前からずっと、「これからは、目の前にある関係」と、

その「ちょっと先にある関係」・・この二つが人間関係が必要になるかもしれない」と、漠然と感じていました。


この「ちょっと先にある関係」を容易に実現したのが、おそらく、こうしたSNSやツイッターといった新しいテクノロジーなんだろうけど、いざ、そういう技術を前にしても、



「自分がどういう人と出会いたくて、どういう時間を過ごしてみたいのか」・・


すぐにわかるものではないと思った。

実際、アメブロに来てみても、自分が動かなければ何もはじまらず、そこには魅力的な世界が多すぎて、どこにとどまって、どんな人と知り逢えるのか、どうすればもっと仲良くなれるのか

そういうのを探り探りで進めてみて、ようやく、自分はこの辺りか?と、感じてくるものだと思うのです。


それでも、日記を書いてコメントをもらって返信していれば、かなりのコミュニケーション量になるので、それだけでも十分なんだろうけど、


昨日はそういう「やりとりしてきた仲間」と食事して飲んで・・あの、

『デジャブ』をひさしぶりに体験しました。




すごく近くにはいないけど、割と近くにいるような感覚の人たちと、性別や年齢を越えて、つまらないことを話して笑ったり、時にはまじめな話しをしてみたり・・


大人になると、社会で責任が重くなってくると、どうしてもそこらじゅうでいろんなルールにがんじがらめになって、なかなか思ったことを口にできなかったり、解放されることが少ないけれど、

こうした時間をもてていると、ちゃんとまた「がんじがらめの世界」へ戻っていって、自分の役割を果たせることができる。


以前の日本を支えていた「コミュニティの力」は、いまは外国風になくなっていっていて、そのかわり、こうした外国の人が開発してくれたツールでちゃんと自分のコミュニティをつくることができる。


ちがうことがあるとすれば、以前はなにもしなくても近くにはあった「コミュニティ」は、


いまは自分でつくらないと、持てなくなった・・ということでしょうか。