私が、毎月購読している宮崎中央新聞の1月15日の「転載して過去を未来へ」という読み切りシリーズの記事に掲載されていた飛騨千光寺住職の大下大圓さんの講演録の記事に祈りについての事が書かれていました。
記事の内容は
大圓さんが医療ボランティアを始めて間もない頃に出合った方との事を書かれてた記事でした。

その方は、事故に会い人工呼吸器を付けていて声を出す事が出来ない状態でした。

その彼は自分の家に帰りたいという夢をもっていて、病院に許可をもらう事が出来ました。

彼が何年かぶりに家に帰ると、近所の方が家に来くれて、「おまえ帰ってこれたのかよ」と優しく言ってくれたり、「あんた死んだんじゃなかったと?」などと言うおばちゃんがいたりと…

でもその言葉の中から
「自分はいつも祈られて来たんだ」と
感じたそうです。


この記事を読んで、はっとさせられました。



私自身、これまでに家族や友達の健康や幸せを祈ったことはありますが

私自身が祈られていた事に気付かずにいました。

母が、私を身ごもった時から
両親
祖父母
叔父叔母を始めとした
親類縁者の方が私が無事に産まれて来ることを
祈ってくれまして。


そして今現在も
兄姉夫婦とその子供達。

叔父叔母

友人

元上司など


多くの方が
私の幸せを祈ってくれています。


この祈りの連鎖が広がることで
本当の平和が世界に訪れると感じます。


これからも
身近な存在に対しての祈りを忘れず続けていくと同時に

祈られているという実感をしっかりと受け止めながら

日々、感謝を忘れずに1日1日を過ごしていこうと改めて心に刻みました。


「人は、祈りの力によって生かされている」


この祈りをしっかりと受け止め

今を生きて行きます。