振り返り④ | とりあえず、元気。

とりあえず、元気。

ま、いっか的、日常です。
非常にいいかげんな奴が書いてます。
マメじゃない人間が、仕事の合間をぬって書いてるので気まぐれでいい加減なブログです。すみません。
濾胞性リンパ腫、19年選手
今日もそれなりに元気にやってます。

最初の入院

 

もう、16年以上(?)たってしまったせいで細かいことは忘れてしまったけど、上の子の幼稚園に連絡して、祖父母に子供らを託して、単身赴任の夫に知らせて入院しました。

 

夫は短期の出張が長引いて少しの間だけということで単身赴任していました。

夫はもともと私の両親が苦手で病気のせいで同居したのをすごくストレスを感じていました。

このことが原因で何度も大きな喧嘩をしたことがあります。

今にして思えば嫁姑問題に近いものがあったけど、自分の病気でいっぱいいっぱいの時はわかってあげられなかったのです。

SNSで同居の妻が義父母のことを愚痴ってるのがたくさんあるけど、それに近かったのかなと後から思いました。

 

そうして私は入院しました。

初日から数日は検査。心電図、呼吸器、エコーその他諸々。

慌ただしい検査でぐったりしていた私にその日の夕方、同室の人が話しかけてきてくれました。

 

「私ね。 悪性リンパ腫で入院してるんだけど、あなたは?」

 

同じ病名でした。 その方はびまん性だったので私よりも病状は深刻だったのですが、その話しかけられた時、

「私、○○町に住んでるんだけど、あなたは?」

と言われたかと思う位、自然で柔らかい口調だったのです。

 

「あ、私もリンパ腫です。」

 

「あ、じゃぁ、3対3になったね。」

 

「?」

 

「この部屋ね。リンパ腫が3人、白血病が3人なの。」

 

深刻な病気のことを話しているとは思えないほどふんわりした笑顔のお返事。

他の方もなんだか、ニコニコしてて、ここが血液内科の病棟の1室だというのが信じられないような光景でした。

 

これがきっかけで同室の方たちと話すようになります。

 

当時、私はまだ30代(わ、今の年齢がバレそう)でしたのでほぼ一番、若い人でした。

年上の皆さんはすでに治療も始まってそれなりにキツイはずなのに元気いっぱいでした。

ある方はすでに4ヶ月も入院されていたのですが、2週間に一度は家に戻って家事をしてから戻ってくるというタフな方でした。

 

「帰ったら、家の中がゴミ屋敷よ!

 食べたものほったらかしにするからGが出て、帰った途端に叫び声をあげたわよ。

 本当に男って何にもしない。娘が時々、帰っては怒ってくれてるみたいなんだけどね。」

 

指定難病と慢性白血病のダブルで治療してあったKさんですが、本当にパワフルでした。

 

「その点、うちは夫の方がマメだからねぇ。

 あの人の方が掃除上手なのよ。

 でも店の帳簿を間違うから時々帰って、チェックしないと」

 

そういうAさんは自営業のご主人と学校に行ってる娘さんの三人暮らし。もう1人の娘さんはもう結婚していらっしゃいました。

旦那様は本当にマメな方で1日おきに面会にきては奥さんの食べたいもの持ってくる方でした。

 

この旦那さんと少しだけお話しすることになるのですが、この出来事が夫と向き合い方を考えるきっかけとなりました。

 

周りの方がA旦那さんに

「奥さんいなくて大変でしょ?」

と聞くと

「生活は大丈夫です。でも気持ちがですねぇ。

 情けないんですが、家に一人でいるとダメなんですよ。」

 

ここからは当時、お聞きしたA旦那さんの言葉を思い出せるだけ書きます。

 

「実は家内が病気だとわかった時、自分はまず、置いてかないでくれっていう気持ちがすごかったんです。

夫婦二人でずっと年取るまで一緒にいて、自分が先に死ぬのを家内が看取ってくれるというのを信じて疑ってなかったんです。

だから家内が先に逝くかもと思った時からずっと子供みたいに嫌だ、俺を一人にしないでくれとしか言えないようなバカな男なんです。

もうすぐ入院して1ヶ月になるんですが、病気で辛い家内の気持ちを思いやるということができてないんですよ。

ここに来るのも自分が寂しいからなんです。

呆れたでしょう? 」

 

そう言われたA旦那さんですが、お見舞いの時の言葉や行動は奥さんのことを思い遣っていないなど感じられません。

きっとできる限り、Aさんに寄り添おうとしてるんだろうなと感じました。

 

Aさんは本当にサッパリとした方で

「仕方ないの、この人そういう人だから。

 私元気になって彼を看取らないといけないのよ。」

と笑ってありました。

 

この時の会話で私はもう一度、自分の夫と話さないといけないなぁと思いました。

これは治療をする私にとって大事な分岐点でした。

この会話が無ければ、きっと離婚もしてたでしょう。

子供たちを一人で育てると気負い過ぎて力尽きてたかもしれません。

当時「情けないでしょ」と自嘲しながら話してくれたA旦那さんには今も感謝してます。