1978(昭和53)年6月12日午後5時14分。
宮城県沖地震発生。
マグニチュードは7.4、当時の震度基準で仙台の震度は5。
私は当時小学4年生。
エレクトーンを習っており、個人レッスンで先生の自宅にいて、順番が来るのを待っていました。
すると、最初は小さい揺れが来て「先生、地震・・・」と言った途端、大きな揺れに襲われ、慌てて足を引っ込めてベッドの上で体育座り。
直後、目の前に本棚が倒れてきて、危機一髪。
電気が止まり、レッスンどころではなくなったので、帰宅することに。
レッスン部屋は2階だったので、下に降りたところ、タンスなどの家財道具は倒れ、ガラスが割れてめちゃめちゃ。
家が遠かったこともあり、先生に付き添われて帰宅。
当時の自宅は、父の会社の社宅で築30年の木造平屋、2軒続きの長屋。
家に入ると、母が倒れたガラスや食器をほうきでかき集めていました。
地震発生時、母は家の一番太い柱にしがみつき、2つ下の妹は地震に驚いて庭へ飛び出し、松の木にしがみついていたんだとか。
父はまだ勤務時間中だったと思います。
鉄道(当時は国鉄)は運休し、バスは停電で信号が点灯しないので、警察官の手信号で誘導されていたものの、夕方の帰宅ラッシュと重なり、交通渋滞が激しくなり、道路交通は深夜まで麻痺だったそうです。
鉄筋の入っていなかったブロック塀があちこちで倒壊し、下敷きになって亡くなった方が数多くいらっしゃいました。
ライフラインも全て止まり、都市生活は麻痺。
人口50万人以上の大都市(当時、旧仙台市の人口は約65万人)が経験した、初めての都市型地震災害であると言われています。
ライフラインの復旧には約1ヶ月かかりました。
そんな地震を体験し、早くも40年経ちました。
あんなに大きいな地震はコリゴリ、と思っていたら2011年には東日本大震災が発生。
地震はいつ起こるか分かりません。
出来る範囲での対策は、怠らないようにしたいものです。