もし友達が実は自傷をしていたら | 船乗りの現実逃避未遂

船乗りの現実逃避未遂

旧 現実逃避完遂計画

リーダーが無視をする。
多分教職員から何らかの御達しが行ったのだろう。
この解放感と楽な気持ちよ。
ミーティングの時は緊張したが、スルーされているおかげで楽だった。
このまま存在を無視していてほしいと思う。
それが「見限られた」という意味でも構わない。




激しい自傷行為はこのごろ落ち着いている。
そういうときにふと私は考える。

「親しい人が自傷行為をしていたら私はどうするのだろう」

中高生のときは「自身も自傷者である」ということを踏まえた上で、若さからくるであろう共依存的対応をしていた。
現在の私はどうするのだろう。


あるデータより。
中高生の自傷経験者は約1割。
更に、その中の90%以上が自傷行為をひた隠しにしている。


中高時代では、確かに周りに自傷行為をする人が多かった気がする。
一方で、今の私ほどの年齢となると、なかなか自傷行為をする人はいない。
やらないのか、ひた隠しにしているのか、現在もしている私には判別つかない。
今のメインとなる人間関係において、自傷行為をしている人間は私くらいなものではないだろうか。

そんな状態で、あるとき意外な人の自傷行為を知ったとしたら、私は年齢相応にうまく対応できる自信がない。

例えば「あなたが腕を切っていたら私はつらい」なんて言われたとして、私であれば「ふーん」で終わる。
私が切りたいから切るのであって、そこにあなたの気持ちは介在させたくない、と考える。

私はもっと自傷について勉強すべきなのかもしれない。
自分について知ることにも繋がる。

そんなことを考えながら、私はエスタロンモカを飲む。
カフェインは飲みすぎると心臓に負担がかかり、苦しみながら脱水状態になって一時的に体重が落ちる。
これも自傷だ。




「自分を傷つけずにはいられない」

この本が「自傷する人」「周囲の人」どちらにとっても良書と聞いたので、そのうち読みたいと思う。