こんにちは!

たかこです。


今日は乳がんとは

関係ない話です。


私の母は2011年の5月に

脳梗塞で左半身不随となり

8月に生命の危機を何度も乗り越えて

自宅に帰ってきました。


病院の先生からは

「自宅でみるのは

大変だから施設を探したら」と

言われましたが、

「帰りたい、帰りたい」

と泣く母を見て

在宅介護を決意しました。


母が倒れたときに

ホームヘルパー2級の資格を取ろうと

申し込んでいたのですが、


授業を受けている最中で

家に戻ってくることになり

介護ベッド、車椅子などのレンタル

ケアマネジャーさんを決めたり

授業を受けに行く日はデイケアに

行ってもらわないと授業を受けられないので

本当は土日で授業を受けるクラスに入ってましたが、学校に相談してどのクラスでも

私の都合のいい日に

取れるようにして頂きました。


実習もあったので、

朝早く家を出ないといけないときは

デイケアサービスの相談員さんに

相談して

母の準備はちゃんとして

鍵を掛けずに出かけ

母の首に鍵をぶら下げておいて

デイケアさんが鍵を締めてくれたり

本当に無理をいいましたが、

諦めないことって

本当に大事だと思いました。


自分一人では無理なことも

絶対に資格を取る。

最後までやり切る。

と決めると

色々と頭に浮かんできました。

とにかく、相談してみよう。と


ダメって言われたら

また考えたらいい。と


最初、母は車椅子に座るのさえできなくて

デイサービスで断られたところもありました。


でも、色んなデイサービスに相談すると

本当に親切で配慮のよい施設が見つかりました。


妥協しないで根気よくと

言っても私には本当に時間がなくて、、、


でも

ケアマネジャーさんか親身になって

探してくれて本当にありがたかったですね。


実習はデイサービスとグループホームと

ホームヘルパーに

何日間か通いました。


授業は母がデイケアから帰ってくるまでの

時間で行きましたが、

実習は

私に合わせてくれるはずもないので、

近所の友だちに

母が帰ってくる時に家に居てもらって

私が帰るまで母の相手をしてもらったり


本当にたくさんの人から助けられて

ホームヘルパー2級の資格をとることが

できたのです。

卒業式も私のクラスの人たちより

遅れて

他のクラスの式に参加しました。


今から思うと

よく頑張ったなぁと感心します。


母が、自宅に帰ってきた時は

尿はカテーテルを入れて

毎日尿の量を計ってましたし。


排便は自力ではできずに

摘便て言って指で出してあげてました。


食べれるものは

すべて料理したものを

ミキサーでドロドロにしたものや

柔らかい物でした。


車椅子に移乗させるのも

本当に大変でしたし

介助の仕方を学校で習うときは

健常者でやってみるので、

上手くいきますが、


家で母に習ってきたようにしても


膝を立ててそのまま左に倒すと

体も左向きになってくれるはず

が、痛いと騒ぐし

踏ん張って力を入れてたり

なかなか思うようにいかなかったです笑


人それぞれ痛みや心の持ちようや

違うのですからね〜


それで、ケンカすることもありましたよ〜

「ばあちゃん!力を抜いてよ〜」私

「わから〜ん」母


「痛い!痛い!痛い!」母

「何もやってへんやん」私


そんなこんなで大変でしたが、

排尿、排便(浣腸して)は自力で

出来るようになり

食べる物もきざみから普通食へ

すごい成長でした。



在宅中にも3回救急で運ばれて

何度も

もうあかんかも思うこともあったけど、


それでも

私が病院の相談員さんに

「意思疎通ができること、

流動食でも口から食べられること

車椅子に乗れること。

これが出来るのなら連れて帰ります。」


と言うと

不死鳥のごとく

クリアして

我が家に帰ってきてましたよ〜


すごい生命力でしたね〜

実質3年半の在宅介護で


私が精神的にしんどくなって

ケアマネジャーさんに相談して

ショートステイ(お泊り)を増やしましょうと

泊まりに行った施設で

具合が悪くなって

そのまま入院、

そのあとはリハビリ病院から

老健(介護老人保健施設)に入所。

老健は家に帰る前提だったので

長くは入ってられないのですが、

途中、母が体調を壊したりして

案外3ヶ月以上入ってました。


次を考えないといけなくて

これもケアマネジャーさんの配慮が

良かったこと! 

最初の頃は

私は「在宅介護で頑張る」

って言ってたんですが、

ケアマネさんは

「それでも特別養護老人ホームに

申請だけは出しておきましょうね。

待ちが多いので、話があったときは

断れますので」

希望の施設に申し込んでくれてたんです。


そしたら

まさかの

老健を出ないとって

言ってたら電話があって

希望してた特別養護老人ホームから

「すぐにでも来てもらっていいです。」

とのこと!


ほんまにビックリでした。


そして2016年に

母は特別養護老人ホームに行き

2年後の2018年に

この時もまさかの

家族6人に見守られながら

旅立ちました。

施設に入っていて最期を看取れたことは

本当に感謝です。

うちの母は最期まで

几帳面に

行ってくれました。


長々と書いてしまいましたが、


介護も今の私は乳がんという病気に

掛かって術後1週間ですが

どんなときも

一人ではないってこと!


助けてと言うこと!


人に行政に

病院に家族に

友達に


どうか

助けてもらいましょう。


私も辛くなったときは

友だちんちに行って

いっぱい話を聞いてもらったり

してました。


一人じゃないって♬

素敵なことね♪


私の世代なら知ってるかな?

天地真理でした笑笑


今日もブログを読んで頂きありがとうございます😊

それでは、またね👋