●今の宮遣い

あ、いや宮仕えをしてはや5年と1か月が経ちました。

 

このあいだ、家人とひさびさに、池袋に行きましたなぁ、12月も暮れ押しつまりの28日 

芸術劇場まで、コバケン&日本フィルの第九 を拝見しにいきました

ランチは ミトヤ  でいただきましたが、かわらぬうまさですな・・・野菜肉たれ・・・

芸劇のビルに同じくある、cafe de MOMO  はさすがにお休みでしたなぁ、モモのおやじさんに会いたいな・・・

 

はさておき、

その同じ、12月28日に、昔昔亭桃太郎師匠はお亡くなりになったそうです。

やはりね、いい芸だなぁと思ったらしっかり観にいかないといけなかったですね・・・しまったな、です。

 

 

冒頭の写真は書き出しのそう5年前の池袋演芸場でのひとコマで、上の写真は当日の当番表です

 

11月9日、今の会社の転職面談で池袋に来ての午後(転職前の有休消化中で時間があったので)、どう過ごそうかと思ったとき、そうだ、池袋演芸場があると、そのままその世界にはいったのでした。

 

当番表に 桃太郎師匠も書いてありますが、彼の落語は覚えていないな・・・ 

ただ、A 太郎さんのときだったかな、「今日は最後に登場はしないと言っていた、桃太郎師匠が、登場するかも・・・」なんて話があり、なんのこっちゃと思ったら、の冒頭の写真

なにやら、裕次郎やらなんやらを唄いだすワンマンショー

印象深いのが「ルイジアナ・ママ」でした。

まわりはみんな、ツイストを(やけになって?)踊っておりましたな・・・

 

こりゃ面白いや、

これから勤務地が池袋になるかもしれないし、そうなったら、池袋演芸場で、桃太郎師匠の落語を聞こう

と思って、気持ちよく演芸場を後にしたのを覚えています。

 

しかし、しまったな。

そのあと、演芸場にもいかなかったし、桃太郎師匠の落語を観る機会も作らなかったな・・・ 

まだまだ、お元気だと高をくくっていたからいけなかったな。

A太郎さんも頑張ってね・・・過払金のCMはあまり好きではなかったけどな・・・ 

 

合掌 昔昔亭桃太郎師匠どの

 

●また、ずいぶんとさぼっちゃってね~

と言われそうだな、おかあさんに・・・

 

はい連日飲んでおります、忘年会シーズンですから・・・

とはいうものの、今年もあと1週間・・・

 

お尻に火がついてきましたがな・・・

なにが・・・って?

 

お年賀状です。

もうね、今年で年賀状を手じまいしますなんてのが、年始にいただいた年賀状でそれなりにありましたけどね

なかには、そんな挨拶もなしに、突然来なくなるのもありましたが・・・

 

はい、朝のラジオ体操、11月の土曜日

あ、来られたな、聞かれるな・・・・

「あのう、今年は年賀状どうされます(買われます)か」

朝のラジオ体操でのみお会いする、常連の大先輩から聞かれる、、、、彼のご子息は郵便局のご勤務・・・

 

そりゃ大変でしょうな、民間になって・・・

この時期はまさにノルマあり、なんでしょうな・・・

 

「はい、では今年もお願いします、200枚で・・・」

「あらぁ、結構買っていただけますね、ありがとうございます」

 

といいながら、その後、大阪での第九合唱参戦やら、なんやらで、ラジオ体操には行けず、ようやくその年賀状を受け取ったのが、12月20日(土)・・・(;^_^A

 

まあね、いつも年末最後に怒涛の如くで、年賀状、宛名、本紙の写真とデザイン印刷に、ひとこと添え書きをするんですけどね。

 

その前に、忌引や、年賀状手じまいのかたの確認をして、宛名印刷の準備をしないとと、それだけをささっと一昨晩やって、

で、うーむ今年出すのは194枚だな、となった次第・・・

適当に200枚買いますといっていたけれど

昨年は確か、足りずであと10枚はコンビニで追加購入したような・・・

(たしか足りなくなったのは書損ですけどね)

 

てな次第ですわ。

でもなぁ、年賀状手じまい、いちばん寂しかったのは

新入社員として最初に入った会社での研修所の所長さん(いまもう、70代後半かなお歳は)

が、年賀状を手じまいしますと書いてこられたことかな、年始年賀状で・・・

 

研修で入って、彼のお宅に皆がよばれたとき、年賀状の話になって、彼曰く「いま年賀状は200枚ぐらいだろうかな、これからどんどん増えてって、800枚くらいまでになれば、サラリーマンとしてもいっぱしだな、みなもそういう出会いを大切にしないとな」

なんてことを言われたんだよな・・・

そして、研修で迎えた正月も、年賀状何枚だしたか?

なんて聞かれたりしてな・・・

いまなら、ちょっとしたパワハラか・・・笑

 

しかし、あの言葉で、たしかに年に一度しかコミュニケーションないんだから、出すか・・・てなもんだったんだけどな。

 

でもこれも、こちらからの一方的なコミュニケーションだし、だったら、フェイスブックでもインスタでも、一方的なコミュニケ―ション方法はあるんだから・・・

もはや、いらんかね?

なんてなるのもやむを得ないことなのかもしれないね。

 

だけどね、年賀状を送ってくれてたからつながっているよ、

なんて飲み会もあったりするんだけどね・・・ 笑

 

まぁ、こちらもひとつひとつ歳をとっているんだし、

そのSNSのおかげで、新規の年賀状出し先はないんだから、

徐々に出す数も減っていくということで、それはそれでいいのかもしれないね・・・

 

いや、郵便局さんは大変でしょうけどね。
 

冒頭の画像は「年賀状 てじまい」でググって拝借しました・・・ あ、手じまいは考えてませんで・・・

⇒ into a novel-like version.

(さきほど ↑のブログを AI に小説風にしてもらいました)

 

 

私の以下のブログを小説風にしてください そうね畠中恵さん風がいいな

 

畠中恵さんの「しゃばけ」シリーズのような、どこかおっとりとしていながら、江戸の粋と人情が漂う筆致でリライトいたしました。

師走の空と、一枚の便り

「まあ、ずいぶんとご無沙汰をして。ちっとも顔を見せないじゃないの」  天から、おっかさんの呆れたような声が響いてく感じがした。

(⇒ おいおい!AI  !     健在ぴんぴんです、母は・・・)

 

 いやはや、面目ない。何しろ極月(ごくげつ)というやつは、どうしてこうも人を忙しなくさせるものか。連日のように酒を酌み交わし、一年の憂いを忘れる宴に興じているうちに、気がつけば今年も残すところあと一週間。

 

 いよいよ、お尻に火がついてしまった。  何が、とお聞きかな? それはもちろん、「年賀の挨拶」のことである。

 近頃は、年明けに届いた便りに「今年限りで仕舞いにいたします」と、店じまいを告げるような言葉が添えられていることも増えた。かと思えば、何の断りもなしに、ぷっつりと音沙汰がなくなる御仁もいる。  寂しい気もするが、これも時代の流れというやつだろうか。

 

 十一月の、ある土曜日のことだ。  朝のラジオ体操へ出向くと、常連の大先輩が私を待っていたかのように近づいてくる。あな、恐ろしや。聞かれることは、端から分かっているのだ。

「あのう、今年はお年賀、どうされますかな」

 この大先輩のご子息は、郵便局というお役所……いや、今では民間の商売か。そちらに勤めておいでだ。この時期、ノルマという名の「宿題」を抱えているのは、どこの世も同じらしい。

「ええ、今年もお願いしますよ。二百枚で」 「おや、それはたくさん! ありがとうございます」

 

 景気のいい返事をしたものの、その後は大阪まで合唱の助っ人に出向いたり、何やかやと取り紛れたり。ようやく手元にその二百枚が届いたのは、十二月も二十日を過ぎた頃であった。

 

 さて、ここからが「怒涛」の始まりである。  まずは、お身内に不幸があった方や、仕舞いを宣言された方の名札をより分ける。一昨晩、慌てて帳面を整理してみれば、今年筆を執るべき相手は百九十四人。  去年は書き損じをしてコンビニへ走った記憶があるから、二百枚という数字は、あながち間違いでもなかったようだ。

 

 それにしても、胸の奥をちくりと刺すのは、かつての師匠の言葉だ。  新入りの頃、研修所の所長さんに教わったことがある。

「今、私は二百枚ほど書いているがね、これが八百枚にもなれば、サラリーマンとしてもいっぱしだ。出会いを大切にしなさい」

 

 正月早々、「何枚出したか」と詰め寄られたのも、今となっては懐かしい思い出である。今時の若い衆なら「パワハラ」だと騒ぎ立てるかもしれないが、あの言葉があったからこそ、年に一度の縁を繋いでこられたのも事実。

 

 今は顔を見ずとも、指先ひとつで近況が知れる時代だ。  「もう、いらんかね」という声が聞こえてくるのも、無理はない。  けれど、年賀状という細い糸が繋がっていたおかげで、久方ぶりの酒が飲めることもある。

 

 私も、ひとつ、またひとつと歳を重ねていく。  新しく筆を執る相手が増えぬのなら、少しずつその数が減っていくのも、それはそれで自然なことなのかもしれない。

 もっとも、売る方の郵便局さんにしてみれば、溜まったものではないだろうけれど。

 

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いかがでしたでしょうか?

江戸の「若だんな」が独り言を言っているような、少しのんびりした情緒を意識してみました。