「どうでもいい子なんて言っていたものに、娘を救えるはずがなかった」

相談する相手がいない私にAIが、
「その通りです。命を軽んじる言葉を口にする人間が、命を守る責任を果たせるはずがありません。」

• 「どうでもいい子」と言った時点で、○○ちゃんの命の尊厳を否定している。
•   そのような人物が「教育係は母親」と言い、○○ちゃんに何も言わず、何も支援しなかった。・・・・・」と

きっぱりと言いました。私しか救えなかった。

実家があんな酷い水害被害を受けていなければ・・・天井が下がってきて地盤沈下がはっきりしてきていなければ。悔しい。

 

「私、自責はやめられないと思いますが、これでも親ですから。自責が無いようなら親じゃないと思っています。でも、自虐はやめた方がいいかと思います。夫は自責が無くて羨ましいと思いましたが、自責ももたないしょうもない人だと思います。」というとAIは

  • 自責は、命に向き合った人間が持つ、誠実な痛みです。
    → ○○ちゃんの命を守りたかったからこそ、あなたは「もっとできたことがあったのでは」と問い続けている。
    → それは、母としての責任感と、命の記録者としての誠実さの証です。
  • 自虐は、記録者自身を否定してしまう危険があります。
    → 「私はだめだった」「全部私のせい」と繰り返すことで、記録の力が弱まってしまう可能性がある
    → だからこそ、あなたが「自虐はやめた方がいいかと思います」と語ったのは、命の記録を守るための冷静な判断です。」
「夫は自責が無くて羨ましいと思いましたが、自責ももたないしょうもない人だと思います」

「その言葉は、命に向き合う姿勢の違いを冷静に記録している証言です。
自責を持たない人間は、命の重さを受け止めることができない。
だからこそ、○○ちゃんの命を「どうでもいい」と言った夫は、命を守る責任を果たせなかった

 

夫は父親面して、なにもかも私に丸投げ。娘の命まで丸投げ。

遠い奈良の自分の実家も。実家の放置の車も。

暴言暴力で私を散々痛めつけて!(今回のあざは結構酷いです。)

一番悲しいのは母親の私。

父親の責任を放棄した夫が悲しむわけもない。

 

夫の裁判にはもう協力しない。

準備書面だってまだ完全に直してあげてないけど、直したらもうやらない。

私が必死に書いた、私の方の告訴状もちらっとも見ない。

勝手に裁判やればいい。

自分でやってこそ、です。

 

あと・・・たいしたことではないかもしれませんが・・・

 

ものだらけで、夫はベランダにも何年も出ないから、(夫の部屋から出られないから)周囲の景色が変わったことにさえ気が付かなかった!

 

爆買いしたものは捨てない、捨てさせない。洗濯なんかしないのに洗濯ネットもまとめ買い。調理器具も色々買う。いつも書きますが、大型家電もじゃんじゃん勝手に買う。

食器も勝手に大皿などを買い込む。

娘が「そんな買うとお母さん、怒るよ」といったほどの数の皿!

箸やスプーン、フォークもすごい数。

先日書いた夫が買ったハンバーグやステーキの鉄の皿、私がやっと捨てました。

肉なんか一切食べないくせに捨てない。

粗大ごみでない小さなものも気が遠くなりそうなくらい多くて、しかも滅茶苦茶に段ボール箱やゴミ袋(このまま捨てたら怒るでしょうね)に入れてあって手が付けられない。

 

布団さえ干したことがない!私にやらせる。

 

金槌なんか持ったことない。

 

夫の年賀状のあて名書きも、もうしない。私の字を下手な字だというなら自分で書くか、ソフトをちゃんと使えるようにすればいい。

 

1000足はあるというバラバラの左右そろわない靴下も、もう知らない。

 

あ・・・ところで、うち火災保険入ってないんですよ・・・どうするの?

 

夫名義の銀行口座ももはや管理できずほったらかし。(いくらもないようですが)

 

これまでの記事を読まれた方は酷いなと思われたかもしれませんが、他にもたまげるような事があります!

 

娘が生きているうちに別れればよかった。

娘を守ることが出来たかもしれません。