ばなな塾関西
やらせてもらってたあたりのこと。








じぶんが しぶんのまま で 在れば



じぶんのまわりの不調和が 
調和へとシフトしていく




ばななせんせいからも
他のいろんな方々からも 
そのことを きいて 
そのとおりだ、とおもっていた私は






『じぶんがじぶんのままで 在る』



ということだけを 日々氣にかけていました。







もっと正直に言えば
「氣をつけていた」



…って、この時点で 
もう 不自然なんですけどね。(苦笑)





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それで、 
いま この開店休業状態⁉️になって


ふと、おもったこと。







常に  わたしは






相反する 矛盾したものを抱えているんだと。





行動する、ということは
そのどっちかを 捨てなければいけない。(成り立たない)




じぶんとして



どっちのことも 大切で 捨てられない
手放せない じぶんがいました。






だけど


「生きる」ということは





どっちかは かならず 捨てる(見捨てる / 手放す)
という こと。



様々な生命を奪ってこなくては
ここまで生きてこられなかったわけで




生きる  ということは

やはり 残酷 であるということ。





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それぞれの 想いが 深い 想いが
なぜか 伝わる わたし。



不調和が 起きてるのは じぶんのせい…?



じぶん以外の もの こと を 優先したいわたしは



じゃ、わたしが 抜ければ いい、ってこと?






と おもうと同時に




わたしは みんなと いっしょに いたい。




って 想いの 狭間で











張り裂けそうになっていました。