…と、しばらく 
WEB上含む いろんな公から
ご無沙汰をしておりまして。


この沈黙?の間の
じぶんの状況を
徒然なるままに書いてみました。


『人生の棚卸し』と
まさに そんなかんじのここ数ヶ月。


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『引越し』と 言葉にしてしまえば
簡単なものではありますが
実にえっらい騒ぎの一大事業

そして
これも 視点を変えると
本当に必然なタイミングで
するべき時に ただただことが起こってるんだなぁ…って。


こんな状態で 大丈夫なのかなぁ…って
心配している自分も居たのですが
《…周りにもかなり心配されていた、っていうのももちろんビンビンに感じてましたよ。
でも、そんな皆さんの想念を振り払うのにも、もっすごい必死で。心の中で必死で耳塞いでましたから。ご心配はありがたいのですが、そのお氣持ちからはなにも生まれないので「心配」の氣持ちは、ぜひとも「信じて見守る」という方向へ、自分も含めて変換できますよう…。》



やっぱり 結果 何とかなっていて。(笑)



ほ〜ら。
やっぱり「心配」なんて
いらなかったじゃない。

って 結論。

《わたしには
わたしの 【独自の】ペースがあります。》ってこと。


一見  側からみると
かなり 不規則にみえるけど

わたしなりには
それは
規則的に しかも ちゃんと 周期的に
リズムがあるんだ、って


この新しい家に暮らし始めて
《前々からもやっとしたものもあったのですが》
ようやっとそれが確信に変わりはじめてきました。



ということで
まだこれは 前置き(えっ?!)で

やっと 本文へ。




注: ものすごい長文なので
『閲覧注意』(笑)です。


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近隣の町に中古住宅を見つけ購入に至ったのが一昨年の10月。

そこから防音室の工事やら楽器のこととか、じわじわと日常生活と並行して進めつつ、ようやっと昨年後半ぐらいから本題の引越しができる段階になり少しずつ準備を進めるうちに
なんと
付随する環境の急激な変化や諸々なことで
ついに脳みそがついていけなくなってしまいまして(苦笑)
ちょっと精神的に失速状態になり
久々にヤバいとこの近くまで行ってしまいまして。カミングアウトすると人生3度目ぐらいのとてもマズい状態。

ちょうど
「関西ばなな塾」をやらせていただいてた最後の方がピークでして(苦笑)
実は引越しの段取りと断捨離も並行してやっていて、もう オーバーヒート寸前だったんですね。
よく「助けを求めなさい」って言われるのですが、
そもそも日常がどんどん想定外の案件が飛び込んでる中でこなしてる為
情報が分刻みで常に上書きされてる状態で
優先順位も刻一刻と変化するので
ひとにお願いしたくても
私にとってはそれが
さらにタスクとして増える状態を意味するので、ここまで抱え込んでると
それすらもう無理なんですね。(苦笑)
しかもたぶん足を止めると全てが止まってしまう、ってのも きっと薄々じぶんのどこかでわかってたんでしょうね。
今振り返ると本当に全てに抵抗して歯食いしばって前に進んでましたから。
異常な責任感だけで。(苦笑)
《わたしのなかに引き受けたものはやり遂げる、って拘りもありまして。》

そんなんであまりに判断力その他諸々がもうもうおかしくなっていたらしく
ばななせんせいより
「もう辞めてください!」と 
ほぼ体当たりのドクターストップ状態。
(せんせいには嫌な役まわりまで引き受けていただき本当に感謝しております。m(_ _)m)


その瞬間から ぷっつりたこ糸が切れたようになりまして。

主人と息子以外とは誰とも会いたくなく、もう誰かひとりひとりとコミュニケーションすることを想像するだけで 
追い詰められてしまい
「かんべんしてください💦」状態。

なのに みんなと離れていることが
寂しくて辛くて、の超矛盾。(苦笑)

ギリギリ病院のお世話にはならなくて済みましたが、
一日起きてたら2日寝込むみたいなそんな生活がベースで、
といいながらも朝起きて旦那さま見送るのと 最低限の家事はなんとかギリギリこなせてましたが

それ以外一旦動けないモードになると
ほとんど寝込んでいて
ひどい時は睡眠薬や安定剤の代わりに
起きたとたんその辺にある食べものを詰め込んではその満腹感を利用してはまた寝ていたという感じでした。

「精神的に自立したくない(孤立・孤独を受け入れたくない)自分」をはじめとする
「依存心のかたまりのどうしょうもない自分」
それをいままで認めたくないがために克服しようとして
異常に我武者羅に努力してきた部分目の当たりにしてそこに向き合ったり
その他も断捨離&荷造りしながら 出るわ出るわ、

「家」イコールほんとに「自分」なんだな、と。

引越しのいちばん大変な最中は 
本当にひどくて
社宅の奥の部屋に
最後までひと組、布団を敷きっぱなしにさせてもらいながら
動けない自分の罪悪感手放そう、とか浮かんでくる思考と向き合い足掻いてました。旦那に申し訳ない、とか。

もちろん、この状態も
なんでこんなに突然動けなくなるのか
可能な限り旦那に伝えました。

でも、とにかく、今回
自分にとって
「嫌だ」と思うことは
徹底的に意思表示しよう、と
それだけは本当に何が何でも 貫き通していて。

なんせ ウルトラ他人軸で
ここまで自分を蔑ろにしていたことすら無意識すぎて 相手の感情優先にものを考えるクセがごく自然なものになってしまっていたという(苦笑)

だからますは「嫌だ」という感情を感じたら今までならば言わなかった場面でも口に出す練習からはじめました。

そして
いままで 全く言えてなかったこと
ものすごい小さな部分でも
一つ残らず氣づく片っ端から
何で私はそれが嫌なのか、を
ひとつひとつ理由を添えながら
旦那に嫌な顔されてもめげずに伝え訴え

そして断捨離や荷造りをちょっとずつ手がけては都度力尽きて倒れ込んで寝てる、そんな日々でした。

《でも不思議なことに旦那実家のじじばばの用事になると身体が動けるのです。じいじ一瞬危なかったりしてたのですがなんとか今家へ戻れて。片道50km弱を難なく往復週に1〜数回と、いまもですが。笑》

そして
この引越しで 顕著になった自分の拘り

とにかく
物や事 なんでも全て
適当に 粗雑に 扱われるのが
私の本質として
実は ものすごく 嫌だったということ。

だから なにより
「間に合わせるためのやっつけ仕事」をできる限り したくなくて。

ひとつひとつ 可能な限り 込めながら丁寧に作業したくて。

これまで 物心ついたら 転勤族で
全てが周りの基準で無理矢理に動いて生きて来た反動、というか おもいっきり本来の自分からかけ離れたところでペルソナつけて生きてきたからでしょうか。


とにかくそれだけは梃子でも譲りたくない、って思ってる自分がいて。


っていいながら
実際問題  これまでは
抱えすぎてキャパ超えてて
結果、目に見える部分としては
いいかげんになってると。(苦笑)
本末転倒意味不明重々承知ながら、
ダウンするまでは、
日々とにかく溺れない?!ように日常生活を送ることだけ必死で過ごしておりました。(苦笑)




つづく